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歴史好きの歴史好きによる歴史好きの為のブログ

【山口県下関市】住吉神社

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山口県下関市鎮座の住吉神社
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御由緒

 今から1813年前、住吉大神の御神託により、神功皇后が現在地にその『荒魂』を鎮祭され、爾来、延喜式内社明神大社、長門国一宮、国弊中社(明治4年)、官幣中社(同44年)、神社本庁別表神社(昭和22年)として現在にいたる。

 拝殿には『住吉荒魂本宮』の懸額がある。御神徳『荒魂』とは、積極果敢に物事を成就させ給う御神威の顕現であり、古来特に勝神としての信仰が強く、交通安全、(新車祓)、海上安全、厄払、清祓等の祈願が多く、(特有性)家内安全、商売繁盛、五穀豊穣、学力向上、当病平癒等はもとより(通有性)こうした『進路守護』の御神徳は、何時の世も高く仰がれるところである。


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青銅製狛犬

 狛犬は神域守護の神獣なることから威厳・畏怖の面容常なるが、当社の対は極めて愛敬・慈愛に満ち、更には青銅製で、全国でも稀なる狛犬であった。しかるに、大東亜戦争苛烈を極める昭和18年3月、軍需物資として徴用され、爾来コンクリート製で複製されていたものの、終戦70年を期し、青銅製復元の衆声に応え、募財未だ道半ばなるも、参拝者の篤き御浄財により、往古の姿に復元、復活したるものである。


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青銅製狛犬
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楼門
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拝殿
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本殿
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神社名 住吉神社
住所 山口県下関市一の宮住吉1丁目11−1
TEL 083-256-2656
御祭神 住吉大神・荒魂(主神)、応神天皇、武内宿祢命、神功皇后建御名方命
創建年 200年
社格 長門国一宮、国弊中社、官幣中社延喜式内社
建築様式  
駐車場
御朱印

【熊本県天草市】切支丹墓碑群

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切支丹墓碑群

 この墓碑群は本町大字中字御子ノ浦(ミコノウラ)から昭和42年に発見された。郷土史家及び当時の本渡キリシタン館長「亀井氏」の鑑定結果、隠れキリシタン墓碑であることが判明した。これにより「天草・島原の戦い」(寛永14年~15年:西暦1637年~1638年)の後、大矢野には宗徒はいなかったとの説は覆された。厳しい取り締まりを巧みにのがれ仏教徒を装って信仰していたと思われる。墓石8基と石仏も見つかっており、「寛政●年●月●日天」と記され、墓石が乗っている台座の見えないところにはクルスが刻まれている。

 この種の遺跡は珍しく学術的にも貴重なものである。


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切支丹墓碑群

 

 

遺跡名 切支丹墓碑群
住所 熊本県上天草市大矢野町
TEL  
年代 寛政
指定区分  
駐車場  

 

【福岡県行橋市】今井津須佐神社

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福岡県行橋市鎮座の今井津須佐神社
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国指定史文化財 豊前神楽

元永神楽

 豊前神楽はかつての豊前国のエリア(福岡県東部から大分県北部)に伝わる神楽の総称です。御先(鬼)が登場する演目が豊富であることや、神話を題材にした演目を重視するなどの特徴があります。行橋市内には現在四つの神楽が伝承されており、元永神楽の他に今井神楽、稲童神楽、道場寺神楽が活動しています。

 元永神楽は元永神楽保存会によって継承されています。元永神楽保存会は、旧下正路神楽講(行橋市)の川口肇が昭和三十二年(1957)に元永地区の青年団に神楽を教えたことから始まったと伝わります。一時は中断したものの、有志により復興を遂げ、現在に至ります。

 元永神楽は今井津須佐神社、大祖大神社に奉納されており、元日や四月下旬の神幸祭のほか、十月の秋祭りで見ることができます。神幸祭では「御先」の奉納が重視され、舞手の都合がつかない場合は他地域から舞手を招いて奉納したといわれます。元永神楽保存会では「御先」のほか「岩戸神楽」「大蛇神楽」など十四の演目が継承されています。大蛇神楽は赤幡神楽(築上町)を手本にしたとされるほか、奉楽についても他地域の神楽を参考に独自に発展・継承してきました。

 現在、元永神楽保存会は、神楽の普及や後継者育成のための活動をしています。また、女性や他地域からの参加も可能な気風が特徴です。


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福岡県指定文化財

今井祇園行事

 

 今井祇園行事は今井津須佐神社を中心に、例年七月中旬から八月三日頃まで行われる、豊前地方を代表する夏祭りです。この祭りは、この地方に疫病が大流行した鎌倉時代の建長六年(1254)、地元の有力者が京都の八坂神社より祇園社を勧請し、翌年から悪病退散のお礼として始まったと伝えられています。神社はもともと今井地区の平地にありましたが、戦国時代に兵火を避けるため、この妙見山の中腹にあった元永地区・長井地区の氏神・大祖大神社の隣に移ってきました。そのため、二つの神社が並んだ珍しいつくりとなっています。

 祭りの内容は、山、八つ撥、連歌奉納の三つが中心となっています。古くは今井西町、今井東町、今井中須町、金屋村、真菰村、元永村の計六基の山が巡行していました。現在も曳かれている今井西町の山は、祓川河口に埋めて保管している直径約1・5mの楠製の車輪を掘り出して、今井地区の参道で組み立てる豪壮なものです。八つ撥は、潔斉して神に見立てられた男児が神弊を奉納する神事です。連歌奉納は、祭りの期間中に連歌を詠み、神にささげる神事で、室町時代の享禄三年(1530)以来絶えることなく伝えられてきた、全国的にも貴重な伝統行事です。


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楼門
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拝殿
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本殿

 

神社名 今井津須佐神社
住所 福岡県行橋市元永1299
TEL 0930-22-6932
御祭神  
創建年 1254年
社格  
建築様式  
駐車場
御朱印  

【福岡県行橋市】正八幡宮

 

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福岡県行橋市鎮座の正八幡宮
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中津街道

 

中津街道の概要

 この地域では「中津街道」の名で親しまれる「豊前道」は、豊前国小倉城下から豊後国・府内(大分市)へ通じる東九州を代表する江戸時代の脇街道のひとつで「小倉道」などと呼ばれることもあります。

 江戸幕府は、慶長年間、全国の道路網を整備し、通行人を取り締まる関所を設けました、豊前国でも、小倉城下の中津口を起点に、曽根、苅田、行事、大橋を通り椎田から八屋を経て中津に至る十三里(約52キロ)の「中津街道」が整備されました。道幅は平均で約4m(二間二尺)に整えられています。

 行橋市内のルートは今も残り、生活道路として利用されています。

 上の絵図は江戸時代末頃に描かれた「大橋村行事村宮市村見取図」ですが、ほぼ中心に中津街道が通っています。

 

八幡神社境内之図の解説

 

 絵図は、東南上空から左手(南側)に正八幡神社(正八幡宮)境内を、手前(右下)に、門樋通りの旧街道筋、右手(北側)に大橋、宮市、行事の街並みを描いています。明治時代に書かれたもので、神社周辺は水田でした。約百年前の行橋町の様子がしのばれます。

 大正十二年五月、行橋町耕地整理事業が着手されました。直角の区画を伴う、行橋駅東側における市街地の原型は、大正時代末から昭和初期のこの事業によってできあがったものです。

 正八幡神社境内には、耕地整理事業を記念して昭和十五年に、「立功不朽之碑」が建てられています。


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むすひ玉
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御神木
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市指定文化財

木造八幡神座像

 

この神像は昭和五十一年に発見されるまで正八幡神社の神殿内で人目に触れることなく保管されていたものです。

 高さ26・6cmの針葉樹材の寄木造の像で衣には彩色し、肌の部分は金色に漆箔を施しています。八幡神は僧形あるいは衣冠束帯の貴紳の姿につくられることが多い中で、この像は仏教の菩薩の姿をしており、神仏習合の古い様相を示す貴重な神像といえます。手先が失われていますが、それ以外の状態は良好で、彩色も薄らいでいるものの、当初のものと考えられます。

 像の内面にはこの神像が天文■丑年(1553)に造られたとする銘文が刻まれていますが、彫刻史的な年代観とも大きな矛盾は無く、室町時代後期の作品と考えられます。

 大らかさと森厳さをあわせ持ち造形的にも秀でたこの神像は京築地域の室町時代後期彫刻の基準的作例としても重要です。


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拝殿
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本殿
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神社名 八幡宮
住所 福岡県行橋市神田町8−1
TEL 0930-22-0943
御祭神  
創建年  
社格  
建築様式  
駐車場
御朱印  

【福岡県】正ノ宮正八幡神社

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福岡県行橋市行事鎮座の正ノ宮正八幡神社
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行橋と森鷗外『小倉日記』

 

旧行橋町

 

 今川、長峡川の河口に拓けた集落。旧豊前国京都郡仲津郡境に立地。明治二十二(1889)年、京都郡行事村、仲津郡大橋村、宮市村の三村が合併。「行橋」は、行事の「行」と大橋の「橋」を採用し施行された町名です。江戸時代は商業地域として発展し、蔵、屋敷、商家が立ち並ぶ在郷町でした。明治期には、郡役所、銀行、警察署、裁判所等が設置され、筑豊炭田の発展に伴い、鉄道が開通。大正末から昭和初期にかけて行橋町耕地整理事業が実施され、行橋駅周辺に、ほぼ現在の市街地の原型が形成されました。

 昭和二十九(1954)年、近隣一町八村(行橋町、蓑島村、今元村、仲津村、泉村、椿市村、延永村、今川村、稗田村)が合併して「行橋市」となりました。

 

森鷗外の『小倉日記』

 

 明治時代の文豪・森鴎外【1862~1922】は、陸軍第十二師団の軍医部長として小倉に赴任。『小倉日記』は、明治三十二(1899)年六月から三十五(1902)年四月までの二年十ヶ月を九州の地で過ごした時につづられたものです。鴎外と行橋との関わりは深かったようで、行橋には三度訪れたことが記されています。

①明治三十三年十月十三日 行事高等小学校にて講演

②明治三十四年七月三・四日 陸軍演習(七月三~九日)

③明治三十四年十一月十五日 行橋町散策

 

 日記には、講演で訪れた行事高等小学校、料亭梅乃屋、柏木勘八郎邸、陸軍演習で宿泊した近江屋、清遊で参拝した草野正八幡宮(正ノ宮正八幡神社)、禅興寺などが登場します。

 

明治三十四年十一月

 十五日。味爽、俊■来たりて、予を喚んで起たしめ、偕に行橋に行かんことを勧む。(中略)行橋に至る。草野八幡宮に詣づ。享保三年の石華表あり、猪熊、草野、長音寺の諸村を望む。師の従弟、山本勝平の家に午饗す。午後、田畔を歩みて稗田村を望む。村上仏山の郷なり。大橋の禅興寺を訪ふ。三時七分汽車に乗りて還る

出典 『森鴎外全集』第三十五巻

 

文中の「俊■師」は、草野正八幡宮宮司広瀬延考の二男でした。玉水俊■は、鴎外と親交のあった小倉安国寺住職です。また、享保三(1718)年の石華表(小鳥居)は今も残っています。『小倉日記』は明治三十年代の北部九州の歴史、民俗、人物、景観、町並み等が散見され、近代の当地域を知る上で貴重な資料です。


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拝殿
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本殿

神社名 正ノ宮正八幡神社
住所 福岡県行橋市行事7丁目7−17−1
TEL 0930-22-1703
御祭神  
創建年  
社格  
建築様式  
駐車場
御朱印  

【福岡県苅田町】宇原神社

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福岡県京都郡苅田町鎮座の宇原神社
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宇原神社御祭神

ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト、彦火々出見尊、豊玉姫


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拝殿
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本殿
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神社名 宇原神社
住所 福岡県京都郡苅田町馬場410
TEL 093-436-0437
御祭神 ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト、彦火々出見尊、豊玉姫
創建年  
社格  
建築様式  
駐車場
御朱印