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【岡山市北区】今村宮

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岡山市北区鎮座の今村宮
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今村宮は、宇喜多氏が岡山城を拡張するにあたり、内山下榎馬場にあった三社明神を現在地に移し、この地に従前から祭られていた八幡宮と合祀して三社八幡宮と称していたが、のちに今村宮と改称した。このため今村宮は、旧城下町に氏子が多くみられる。

 本殿は、石造りの亀腹の上に建てられており、三間二間の檜皮葺、三間社流造りで、正面に唐破風造りの向背を付けている。内部は、前一間通りが畳敷きの外陣で奥一間通りの内陣には黒漆塗りの檀をしつらえ、三つに区切った神座を設けている。神座の板戸や羽目板には天人、獅子、獏などの金碧画を描き、虹梁、長押などには彩色をし、華麗に装飾を施している。

 この本殿は、元和九年(1623)の再建で、江戸初期の建物であるが、彫刻、彩色などに桃山時代の建築様式の特色をよく残している。


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楼門

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拝殿
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本殿

 

神社名 今村宮
住所 岡山県岡山市北区今4丁目3−5
TEL 086-241-2744
御祭神  
創建年  
社格  
建築様式 三間社流造
駐車場  
御朱印  

【佐賀県佐賀市】龍造寺八幡宮

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佐賀県佐賀市鎮座の龍造寺八幡宮
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八幡宮は文治三年(1187)龍造寺家の始祖なる南次郎季家が建立し、龍造寺八幡宮と称した。季家は平家追討の功によって源頼朝より佐賀地方の地頭職に任ぜられ、居城内に鎌倉の鶴ケ岡八幡宮の分霊を勧請して祀り歴代手厚く崇拝し祭祀を営んだ。

 降って慶長十二年(1607)佐賀初代藩主勝茂は佐嘉城築城に際しこれを白山町に遷座し、宏壮華麗な社殿を造営して寄進した。慶長九年には藩祖直茂の室北の方藤女が肥前鳥居を奉納して聖上萬歳、国家安穏、武家一門の弥栄を祈念している。(現在佐賀市指定重要文化財)、かくて歴代の藩主は佐賀開府の神、佐嘉城の鎮護の神として尊崇の念篤く、鍋島家の産土神として事あるごとに報告祭又は祈願祭を営み、且つ一般の参詣も許した。

廃藩置県後は氏子において一切を御奉仕することになった。

 現在、安産、初宮詣り、厄除、交通安全、商売繫盛、家内安全の神として九州一円広く崇敬されている。


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拝殿
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本殿

 

神社名 龍造寺八幡宮
住所 佐賀県佐賀市白山1丁目3−2
TEL 0952-23-6049
御祭神 応神天皇神功皇后玉依姫命住吉三神天児屋根命
創建年 1187年
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印  

【福岡県岡垣町】高倉神社

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福岡県岡垣町鎮座の高倉神社
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当社は国史所載の古社にして、第十四代仲哀天皇八年正月己卯朔壬午、筑紫に行幸し給いし時、県主の祖熊鰐周防婆歴浦に参迎え、海路を導き山鹿岬より巡りて岡の浦に入らむとし給う。時に神異あり天皇勅して、挟抄者倭国荒田の人伊賀彦命を祝部としめ給う。神功皇后摂政二年五月午の日に、此の地に神祠を建て神田千町を以って定めらる。即ち大倉主命、菟夫羅媛二神の本宮なり。

 古来、武人の崇敬厚く年中三度の大祭には、在應の官人をして祭儀を監察せしめられ、武家執政の後も検使を遣わして祭儀を授けせしめられき、天文五年九州探題大内義隆公社殿の造営ありしも、永禄二年大友宗麟の兵火にかかり、壮麗なりし社殿も貴重なる社宝と共に鳥有に帰せしが、天正十五年国主小早川隆景公を再建、慶長十八年黒田長政公梵鐘及び鳥居の献納あり、爾来歴代の国主、神田、神山を寄進して、崇信の念殊に厚く、宝暦元年旧遠賀郡惣社として定めらる。

 明治五年十一月郷社に列せられ大正九年懸社に昇格す。現今の神殿・幣殿は明治九年旧遠賀郡の造営によるものにして、古は神伝院、千光院、総智院、勝業院、正覚院の六坊あり又、社家、五家、巫女四家ありしも、明治初年同時に廃せらる。

 境内には御神木として、杉・橘・松・楓・柳の五樹ありしが、今は神功皇后御親栽と伝えられる彩杉と楠のみ列せり。


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本殿

神社名 高倉神社
住所 福岡県遠賀郡岡垣町大字高倉1113
TEL 093-282-6581
御祭神 天照大御神、大倉主命、菟夫羅媛
創建年 199年
社格 備中国二宮
建築様式  
駐車場  
御朱印  

【岡山市北区】皷神社

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岡山市北区鎮座の皷神社
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創建年代は定かではないが、延喜式神名帳(927年)賀夜郡四座に記載されており、御祭神はそれぞれ吉備国平定に関わる神様である事から、神社成立は吉備国平定時代に遡ると思われる。

古くは「鼓五社大明神」と称され、五つの社殿と鶴林寺等神宮寺を構える神社であったと伝えられている。


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当社は人皇第十代崇神天皇の御宇四道将軍大吉備津彦命御功臣遣霊彦、此の県主楽々森彦命同御女にして、将軍御后高田姫命を奉斎せる神徳赫赫たる名社であります。主神遣霊彦命は大吉備津彦命の脇将で功に依り大井庄内五ヶ所を賜った。後代、神を崇め社を建て五神を合わせて祀った。延喜の制で小社に列し、祈歳の国弊にあずかる。往時は五社殿あって、皷五社大明神と称した。寛永間領主下利当社領二石を寄進し祈願所となす。千原寛源延祖先の後を襲い木下藩主の命を受け皷神社神主となり、明治五年社格制定の際、当国二宮の称号と式内十八社中なるに村社に加えられしこと遺憾に思い、単身上京し懸社昇格に凪夜奔走し、同十四年十月四日懸社に列格さる。爾後同四十一年九月、庄田天神社。

 楽々森神社外小社を合祀し、社殿を改築、境内整備等壮麗なる様相となる。昭和二年神饌所を新築し、懸社昇格五十年奉祝祭を盛大に執行す。昭和三十四年四月本殿屋根茅替正遷座奉祝祭斎行、同四十九年五月、拝殿屋根補修、神輿二基彩式、壱千年祭執行、同六十二年五月拝殿瓦葺替、随神門、荒神社拝殿屋根葺替、境内地、神池を整備し、皷神社再建六百五十年祭を盛大に奉祝せり。昭和三十四年より宮山六町面に桧を祈念植樹。同五十六年完了。氏子奉仕に依り間伐枝打続行中。昭和六十二年七月神社本殿神社振興対策(第五期)の指定を受け、五十二万五千円の補助を交付さる。懸案の大型駐車場周壁も事■へ。此度五か年計画に依り平成七年修築奉賛会を結成して本殿屋根銅板葺替、随神彫刻、東社務所及び輿庫の新築。拝殿大床合天井張替、稲荷神社新纂据付、境内地整備等念願の総ての工事完了。私達、神恩報謝の誠を捧げ、神徳益々輝き神社護持と敬神の真心を後世に残し、神社の弥栄と氏子・崇敬者御一同様の家運の御隆昌を祝祷申し上げる次第であります。

拍手。


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随神門
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本殿

 

神社名 皷神社
住所 岡山県岡山市北区真星1615
TEL 086-295-2298
御祭神 高田姫命、遣霊彦命、楽々森彦命、吉備津彦命、吉備武彦命
創建年  
社格 備中国二宮、懸社
建築様式  
駐車場  
御朱印