歴研

歴史好きの歴史好きによる歴史好きの為のブログ

石造物

【福岡県うきは市】正平塔

正平塔 筑後川から取水した大石・長野水道のほとり、田園の中にある宝塔で、正平十八年の銘があり俗に「正平塔」という。 塔身には金剛界五仏を示す四種の梵字を彫し、「願以此功徳普及於一切我等興衆生皆共成仏道」正平十八年(1363)七月八日、調衆各敬白…

【福岡県うきは市】小江八幡神社

福岡県うきは市の小江八幡神社 元禄四年製の鳥居 参道が清々しい 楼門 楼門内の随神像 文化14,15年、享和元年、明治30年(左から) 本殿

【鹿児島県曽於市】通山の六地蔵塔

鹿児島県曽於市の通山の六地蔵塔 通山の六地蔵塔 明暦元年(1655)庚申講衆によって建てられたものである。 塔高202㎝で、基檀に返り花、中台には蓮弁を刻出しており、笠石・龕部・中台・■身・基檀は六角形で当地方に普遍的な形である。 龕部の正面(東向き…

【鹿児島県曽於市】棚木の六地蔵塔

鹿児島県曽於市の棚木の六地蔵塔 この六地蔵塔は、享保十年(1726)に末次氏一族と湯浅氏一族によって供養塔として建立された。六面には、六道(地獄・飢餓・畜生・人界・天界・修羅)の各界を示した一体の地蔵像と他は梵字が刻まれており、この表現は都城盆…

【鹿児島県曽於市】光神の庚申六地蔵塔

光神の庚申六地蔵塔 末吉は六地蔵が5基ある此処の六地蔵もその一つであるが、他の六地蔵と異なるのは庚申六地蔵塔であることである。 此処の庚申六地蔵はもと、財部境の田園の中に山王神社と共にあったのを、山王神社を現在の光神に遷宮する時、同時に、こ…

【鹿児島県曽於市】山王神社

鹿児島県曽於市の山王神社 解読不能だが、天正13年に創建された?

【鹿児島県曽於市】田の神

田之神 南九州は日本列島の南の辺境に位置し、火山活動や台風常襲と厳しい自然環境にあります。 更に、島津藩政七百年は人々の生活を自足的閉鎖的にしましたが、逆に琉球や大陸との交流という南の門戸としての先進性も内包し、又厳しい条件を克服する強い自…

【鹿児島県曽於市】光明寺仁王像

鹿児島県曽於市の光明寺仁王像 光明寺は明治の廃仏毀釈で取り壊されたが、仁王像は地中に埋められた為に難をのがれ、後年掘り出された。

【鹿児島県曽於市】熊野神社

鹿児島県曽於市の熊野神社 都城島津家の富山野辺古文書に「有五宮御召謁大隅国深川院御下向之間奉隠量之元弘三年四月二十九日挙義兵打平凶徒等累」とあり、五辻宮が元弘三年四月当神社境内の深河院に下向の際、優諚を賜った。野辺盛忠が恐懼同院に隠し奉った…

【鹿児島県曽於市】興昌寺跡

鹿児島県曾於市の興昌寺跡 興昌寺跡 この地は、かつて興昌寺(本府福昌寺の末、曹洞宗)のあった所で、明治二年頃の廃仏毀釈によって廃寺になった。 興昌寺墓地には、鎌倉時代末期の五輪塔二基(正中三年・1326の銘あり)をはじめ、末吉郷初代地頭村田雅…

【福岡県嘉麻市】山野の石像群

福岡県嘉麻市の山野の石像群 県指定有形民俗文化財 山野の石像群 文永八(1271)年に、神宮寺座主妙道が奉納したと伝えられるこの石像群は、人々に『五百羅漢』と呼ばれ、人々の手厚い保護により今日まで保存されています。石像は子守り姿や荷を背負う姿…

【佐賀県鳥栖市】田代宿(昌町)の追分石

鳥栖市重要有形民俗文化財 田代町(昌町)の追分石 この追分石には「右ひこ山道、左こくら・はかた道」の文字が刻まれています。江戸時代ここは長崎街道と日田・英彦山道の分岐点で田代宿の東口(田代昌町)でした。 「右ひこ山道」の道は日田・英彦山道と呼…