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歴史好きの歴史好きによる歴史好きの為のブログ

福岡県

【福岡県久山町】斎宮

福岡県久山町の斎宮 当宮は神功皇后が新羅征伐のとき、みづから神主となり、神教を祈願された霊蹤の地であり、つぎのような由来を伝えている。 第十四代仲哀天皇は、仲哀八年己卯の春、神功皇后と御一緒に熊襲征伐のため、筑紫の香椎宮に行幸啓された。その…

【福岡県久山町】若宮八幡宮

福岡県久山町の若宮八幡宮 当宮はその昔、現在地の南三百米に在り、天正十四年薩摩の島津家久が立花城攻略の時焼失した。慶長五年宮林の地に再建し、集落の移転と供に慶長十五年宮林より鳥越の現在地に移転す。 当時山田の村は、猪野川の流域(字古村)に在…

【福岡県粕屋町】平塚古墳

県の文化財にも指定されている巨大な箱式石棺(別名/大隈石棺)が発掘され、弥生時代から古墳時代への移行を考える上で貴重な古墳とされています。昭和26年、旧大川村の村営住宅建設の整地工事中に発見され、発掘調査が行われました。古墳の採土前の状態は7…

【福岡県飯塚市】八幡宮

福岡県飯塚市鎮座の八幡宮 (聖光上人伝)によれば、聖光上人は、建久五年(西暦1194年)明星寺五重の塔を再興の為に、大日寺山に入り、多数の人々の手で、大木を伐らせました。その時、ある大木を伐ったところ、その木の皮の下に文字が書いてありました。 …

【福岡県筑前町】焼ノ峠古墳

国指定史跡 焼ノ峠古墳 昭和46年度(1971)農地改良事業に伴い発掘調査が行われ、九州最大の全長40mの前方後方墳であることがわかり、昭和50年2月13日に国の史跡指定を受けました。 この古墳は、標高130.6mの城山から分岐する標高56mの丘陵上にあります。…

【福岡市南区】大平寺古墳

柏原歴史散歩【大平寺古墳】 大平寺古墳は6世紀末から7世紀初頭の古墳群で7基が確認されています。うち3基は消滅し、現在4基を見ることができます。この6号墳は残存部からの推定で直径約15m、高さ約3.4mの円墳で、南西方向に石室が開口しています。 入口…

【福岡市南区】羽黒神社

福岡市南区の羽黒神社 創建の時代は明らかではないが、「筑前国続風土記拾遺」に天正十四年(1586年)の当社に関する文書の存在を示す記載があり中世のころ出羽羽黒山の修験者によって勧請されたと考えられる。 江戸時代には福岡藩主の深い信仰を受け、その…

【福岡市南区】興宗寺(穴観音)

福岡市南区の興宗寺 穴観音(興宗寺) 寺塚一帯には多くの古墳がありましたが、福岡城の築城の際に石垣の石として古墳の石が抜かれ、壊滅したと伝えられています。境内に残された古墳は、古墳時代後期(6世紀)の円墳で推定直径は約20m。主体部は南向き…

【福岡県那珂川市】丸ノ口古墳

福岡県那珂川市の丸ノ口古墳 那珂川市の文化財 ここ那珂川市は、博多と佐賀県神埼を、そして糸島と太宰府を結ぶ道が交わる場所として古くから栄えたところで、市内には数多くの文化財が残されています。市の中心を流れる那珂川と、支流の梶原川によってつく…

【福岡県大野城市】雉子ヶ尾古墳

雉子ヶ尾古墳 大野城市の北東部にあたる乙金地区には、四王寺山や乙金山から伸びてくる小さな丘陵の上にたくさんの古墳が造られたことがわかっています。この古墳もそのうちのひとつで、雉子ヶ尾古墳といいます。南向きの丘陵斜面を利用して造られており、一…

【福岡市博多区】石投げ地蔵

地蔵菩薩の由来 地蔵信仰は釈迦出現以前のバラモン教の神話に出てくる地天(地神)でやがて仏教に包含されて、インド、中国、朝鮮半島で信仰されていた。 我が国も奈良時代(1270年前)より地蔵菩薩の信仰が初まり江戸時代(385年前)には信仰が盛ん…

【福岡市博多区】那珂八幡宮&那珂八幡古墳

福岡市博多区の那珂八幡宮 那珂八幡宮縁起 八幡神は、欽明天皇三十二年(西暦571年)宇佐の御許山に出現し、そのあと菱形山の現在地に祀った宇佐神宮が根本である。 八幡信仰は、天平時代(8世紀半ば)から王城鎮護の神の信仰としてはじまり、鎌倉幕府の…

【福岡市博多区】吉備津宮

福岡市博多区鎮座の吉備津宮 吉備津宮 第十代崇神天皇の時、彦五十狭芹彦命は四道将軍の一人西道将軍となり、弟稚武彦命とともに吉備の国に住む豪族温羅の反乱を平定して後、吉備の国造となり、吉備の国に住んだところから吉備津彦命と言ったといいます。 吉…

【福岡市東区】神功皇后御繋船遺跡

福岡市東区の神功皇后御繋船遺跡

【福岡市東区】香椎神社

福岡市東区鎮座の香椎神社 拝殿

【福岡市東区】産素根神社

福岡市東区鎮座の産素根神社 征独記念(第一次世界大戦) 拝殿

【北九州市八幡西区】故 R・ニコルソン中尉に捧げる&犬の詩

故 R・ニコルソン中尉に捧げる 終戦後間もない昭和22年(1947)11月12日、この地の上空を飛行中の合衆国空軍ロドニー・ニコルソン中尉の搭乗機に故障が発生した。彼は、搭乗機が住宅地に墜落するのを避けるため、機外に脱出できたにもかかわらず…

【北九州市八幡西区】一宮神社

北九州市八幡西区鎮座の一宮神社 この地方の氏神、王子神社、大歳神社、諏訪神社の三社を昭和二十五年六月吉日に合祀し、社号を一宮神社と称します。 王子神社は神武天皇が日向の国より東征の途上、筑前のこのところにおいでになり、一年間政務をみられた宮…

【福岡市博多区】今里不動古墳

今里不動古墳 この古墳は、福岡平野の東南部に位置し、月隈丘陵からのびる小高い丘の上に作られた古墳時代後期(6世紀末~7世紀初頭ー今から約1400年前)の直径34mの円墳です。 墳丘の中には、死者を葬る両袖型の横穴式石室があります。花崗岩の大き…

【福岡市博多区】犬飼大神宮

福岡市博多区鎮座の犬飼大神宮 由緒 鎮座年月日不詳 明治五年十一月三日村社に列格。昭和五年六月十九日神饌幣帛供進神社に指定される 薬師如来、千手観音 本殿

【福岡県那珂川市】別所毘沙門天

福岡県那珂川市鎮座の別所毘沙門寺院 別所毘沙門寺院の由来 鎌倉時代の弘安八年有名な岩門合戦があった。その十五年後の正安二年修学院文書の中に背振山東門寺水上坊の法橋長印置文案に岩門郷別所毘沙門寺院主職(所領所職)を大進房栄印と文殊丸に譲るとあ…

【福岡県福津市】小竹石穴古墳

小竹石穴古墳 円形の盛土と横穴式石室をもつ古墳です。 横穴式石室は、通路(羨道)と死者を葬る部屋(玄室)で構成されています。壁からの天井の石積みは、上にいくにつれて内側にせり出しドーム状になっています。石室の入口は、南側に開いていますが、本…

【福岡県福津市】冠地域史跡

冠地域史跡案内 冠地域は、自然や歴史・文化などから、福津三十六景に選ばれた冠山や熊野神社を祀る史跡の郷です。標高164mの頂上は、戦国城趾の防衛上の「堀切跡」や城跡(100㎡)が偲ばれます。 また、ここにあった大松跡(み標べの松)は、福津の海…

【福岡県福津市】手光波切不動古墳

手光波切不動古墳 古墳の概要 直径25m(推定)、墳丘高さ9mの円墳です。埋葬施設は横穴式石室で、奥行10.8m、玄室高さ2mです。床石を備え玄室奥の幅が狭まる石室構造は、九州では通常みられないものです。他地域の石室と比較検討した結果、畿内(大…

【福岡市博多区】日吉神社

福岡市博多区鎮座の日吉神社 日吉神社 日吉神社は山王社とも称し、比叡山麓の日吉大社(滋賀県)の神を勧請したものです。創建の年代ははっきりしませんが、古くから当地に鎮座し、開運・醸造・安産の神として、また疱瘡除けの神として信仰を集めてきました…

【福岡県みやま市】石神山古墳

石神山古墳 武装石人 石棺 石神山古墳は上楠田集落の北方、東西にのびる丘陵西端の標高56mに立地する前方後円墳で墳丘の長さは約58・5m、造られたのは5世紀とみられます。 明治四十四年に付近を開墾中、阿蘇溶結凝灰岩を原材とした丸彫り像の石人一体…

【福岡県みやま市】上楠田天満宮

福岡県みやま市鎮座の上楠田天満宮 上楠田天満宮の大藤 上楠田天満宮の大藤は菅原道真を祀る天満宮の境内正面右側に「坂口酒造」の祈願成就に植えられたもので、東西約21・3m、南北約7・5mに達する藤棚でした。 花は枝先から20㎝から90㎝の花房が垂…

【福岡県柳川市】田脇日吉神社

福岡県柳川市鎮座の田脇日吉神社 楼門 梅宮 梅宮では鯰を神の使いとし、鯰をさすりながら安産・子宝・夫婦円満・子孫繫栄・美肌を願う信仰があります。 この撫で鯰は平成最期(平成三十一年二月)に奉納いただきました。 鯰を撫でながら祈りを捧げてください…

【福岡県福津市】宮地嶽横穴式石室古墳

福岡県福津市の宮地嶽神社境内にある 宮地嶽横穴式石室と奥之宮不動神社 当不動明王は宮地嶽巨石古墳に鎮座されています。 巨石古墳とは「横穴式石室古墳」で寛保元年(1741)宮地山が鳴動(地震)し、その口が開きました。 以来、あまりに荘厳な墳墓からか…

【福岡県遠賀町】島津丸山古墳

島津・丸山歴史自然公園 農耕文化発祥の地の一つに挙げられている遠賀川下流域は、豊かな水の恩恵を受けて、約2万年前の旧石器時代以降の遺跡が数多く集中する地域として知られています。その中でも島津・丸山古墳は著名で、遠賀川流域で最古の前方後円墳と…