【佐賀県吉野ヶ里町】吉野ヶ里遺跡(北内郭)
北内郭・北墳丘墓・中のムラ
環濠集落の最も北にあるこの地域は、吉野ケ里の「国」の、まつりごと(祭りや政治)の中心であったと考えられています。北に歴代の王の墓があり、その南にまつりごとを行う北内郭、北内郭の西側に特別な倉庫群と北内郭の行事を補佐する人達が住む中のムラがあります。
酒造りの家
女性たちが、その年に収穫された米を蒸して祭りや儀式で使う酒をつくる家です。
北内郭(王の宮殿)
吉野ケ里のまつりごとを司る最重要区域です。田植えや稲刈りの日取り、戦いた狩りの祈りなど、重要な事柄は全てここで決定されたと考えられています。こうしたことから、当時は指導者たちだけが出入りできた神聖かつ特別な場所であったようです。
主祭殿
吉野ケ里のまつりごとを司る最重要施設です。ここでは指導者たちが重要な事柄を話し合ったり、最高司祭者が祖先の霊に祈りを捧げる儀式などを執り行われていたようです。発掘調査の成果や古代中国の事例などを参考に高さ16.5mで復元しています。
主祭殿
最高司祭者の神がかりの様子
最高司祭者(巫女)が、祖霊からお告げを授かるために、蔓を頭や身体にまき、手に小笹を持って、琴の音に合わせて神がかりしようとしています。巫女の発するお告げを、聞き分け、伝える人が、控えています。鏡や玉・剣は、巫女が、祖霊と交信するための祭具です。
内部の2階では指導者達が政の方針について話し合ってます
神がかりの様子
斎堂
斎堂は主祭殿と東祭殿との間に位置することから、まつりの時に身を清めたり、まつりの儀式に使う道具などが置かれていた施設と推定しています。
祭りのための準備空間
斎堂の中は、網代と帳によって二つに仕切られています。奥の部屋は沐浴をして身を清める(潔斎)場所で、そのために必要な道具類(棺・風呂桶のようなもの=や、水を入れる甕など)が置かれています。手前の部屋は脱衣を行う場所で、衣服を入れる衣装台などが置かれていたと考えられています。
建物の性格上、普段は使用されず、締め切られていたと考えられます。
古代中国や、少し後の時代の日本の文献、他の遺跡からの出土資料などを参考に復元されています。
斎堂
竪穴住居(従者の住まい)
北内郭で唯一の竪穴住居です。これは最高司祭者の最も身近に仕え、その世話に当たる従者の住居であったと推定しています。
高床住居
神聖な区域の中にあり、高床倉庫とは違ってほぼ正方形に近い形をしていることから、吉野ケ里の最高司祭者の住まいだったと考えられています。最高司祭者は、一般の人々の前にはほとんど姿を現さなかったと考えられており、まさしくプライベートな空間だったと思われます。
高床住居
物見やぐら
南内郭の物見やぐらと同じく、敵を見張るための役目を持つ建物と考えられていますが、この区域の特色から、もう一つ、四方をまつる役目も持っていたと考えられています。南内郭の物見やぐらと少し形が違うところに注目してみて下さい。
物見櫓。南内郭のものと形が違います。
東祭殿
東祭殿は、北内郭の中心線である夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にあることから、季節ごとのまつりの儀式が行われた施設と考えられています。また、何度も建て替えられた跡があることから、まつりなどが行われるたびに建て替えられたのかもしれません
東祭殿
次回は北墳丘墓編です
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