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【福岡県鞍手町】古月横穴


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古月横穴は大正15(1926)年に発見され、昭和7(1932)年に国指定史跡に指定されました。

 古墳時代の6世紀後半から7世紀後半に造られた横穴墓は、現在のところ40基が確認されています。

 これらの墓は硬い岩盤をくりぬいて造られ、墓の内部には赤色の文様や線状に刻まれた文様が施されているものがあります。

 現在の様子は、平成6(1994)年度から実施した発掘調査をもとに復元したものです。f:id:rekiken9:20200605153502j:plain

概要

 横穴墓群は西山山系から東に延びる丘陵に造られ、現在40基が確認されています。横穴墓は、硬い岩盤を刳り貫いて造られ、その年代は出土した土器より6世紀後半から7世紀後半と考えられます。横穴墓内部に装飾文様があるものが3基あり、2、6号墓は硬い道具で線状に文様が刻まれ、9号墓は奥壁と左側壁に朱色で文様が描かれています。

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造られた頃

北部九州は磐井の乱(527年)後、大和朝廷による支配が強められ、その後国内では聖徳太子推古天皇を助け、政治が行われていました。鞍手地域では、遠賀川流域で最大規模の石室を有する新延大塚古墳、銀の冠が出土した銀冠塚古墳が造られました。古月横穴の西側の荒五郎山北西裾部には、集落(向山遺跡群)があり、登り窯(古門窯跡)で須恵器を生産していました。近隣には「浪打」、「掛津」などの水際を示す地名が伝えられていることから、古月横穴の周辺部まで入り江であったと思われ、当時古月横穴より見た風景は一面に海が広がっていたと想像できます。

 

発見された頃

大正15(1926)年の夏、土地の所有者であった白石藤六氏によって発見され、その後、白石氏や旧制鞍手中学校(現在の県立鞍手高等学校)の石塚常彦校長らが中心となって発掘が行われました。翌年の昭和2(1927)年に国の史跡の仮指定を受け、昭和7(1932)年には横穴墓としては、県内唯一の国指定史跡となりました。

発掘調査

保存修理工事に伴って、鞍手町教育委員会が平成6(1994)年度から平成12(2000)年度まで調査を実施し、これまでの調査と合わせ、総数40基の横穴墓を確認しました。調査は保存を目的としたため、新たに発見した横穴墓は、墓道部のみを調査し、すべてを埋め戻しました。

 

出土遺物

これまでに出土した遺物は須恵器・土師器などの土器約500点、刀、鏃などの鉄製品、メノウ製などの勾玉などです。出土遺物は、墓の入口部(墓道)、内側(玄室)などに置かれ、亡くなった人へのお供えものであったと考えられます。

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古墳時代のお墓の種類

土を高く盛り上げて造った古代のお墓を古墳といいます。とくに日本では今から約1750年前から400年間は古墳の造営が大流行したので、この時代を古墳時代といいます。古墳は造られた時期や地域によって墳丘の形や亡くなった人を埋葬する部屋の形が異なります。

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横穴墓の構造

(外部)

入口部の大きさは高さ約90㎝、幅約70㎝で石や板などの蓋で閉塞されています。墓道(入口に通じる道)は短いもので約4m、長いもので10mを超えるものもあります。

 

(内部)

天井は当時の家の屋根を意識した形に造られています。被葬者(亡くなった人)を安置するために、床より一段高い屍床が設けられているものがあり、その一部には頭を置くための刳り貫き状の枕があります。

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発掘調査を元に復元保存されている横穴群

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9号墓の特徴

墓室が大きく、内部に装飾文様が描かれていることから、横穴墓群内では中心的存在であったと考えられます。墳丘は直径約14.5m、高さ約4mで、墳丘の盛土は硬い土や柔らかい土が3㎝前後の厚さで相互に積み上げられています。

 

墓室は奥行3.33m、幅2.5m、高さ1.62mで、奥に被葬者(亡くなった人)を安置する一段高い屍床が造られています。奥壁、左側壁の一部には朱色で彩色された斜めの格子状の文様が描かれています。

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いくつかの横穴は内部を確認出来るようになっている

 

遺跡名 古月横穴
住所 福岡県鞍手郡鞍手町古門
TEL  
年代 6世紀後半~7世紀後半
指定区分 国指定
駐車場