【福岡市東区名島】岩見重太郎誕生の地
福岡市東区名島の岩見重太郎誕生の地
剣豪「岩見重太郎」について
岩見重太郎は、小早川隆景が天正・文禄年間にかけて名島城主であったとき、剣術指南役岩見重左衛門の二男として、当地筑前国名島に誕生していますが、父が指南役を争った広瀬軍蔵の鉄砲による闇討にあい非業の死を遂げます。
兄の重蔵と妹のお辻は、主君に願い出て仇討ちにでかけて、首尾よく仇に巡りあうが返り討ちにあいます。
弟の重太郎は、幼い頃から英彦山で兵法を教わった七十人力の剣豪であり、諸国修業に回るうち妹と巡りあい、事の次第を聞き、仇討教免状を譲り受け、京都の天橋立濃松で仇敵広瀬軍蔵と出会い見事本懐を遂げたと伝えられています。
天橋立には「岩見重太郎仇討の場」の碑が建っています。
若杉山の大蛇退治や河内国葛城山の山賊退治、信州松本の佛佛退治、丹後大島の海賊退治など、全国には数多くの岩見重太郎の武勇伝が伝えられています。
名島地区財産管理会
遺跡名 | 岩見重太郎誕生の地 |
住所 | 福岡県福岡市東区名島3丁目14−21 |
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駐車場 | 無 |