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【福岡県東区】多々良潟

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細川幽斎(1534年~1610年)は、安土桃山時代の武将で歌人です。

陣中日記「九州道の記」に

『いにしへは ここに鋳物師の跡とめて

        今もふみみる たたら潟かな』

の歌があります。

 この地図は、13世紀ごろの想定図です。

たたら潟は、広漠たる入江で、川砂からは砂鉄が採取され古くから大陸渡来の鋳物工が住みつき、鋳物を造っていたと伝えられています。

京都市右京区花園の臨済宗正法山妙心寺に所蔵されている工区法で日本最古の梵鐘(698年)には、鐘身内面に

「戊戌年4月13日壬寅収粕屋評造春米連廣國鋳鐘」と鐘銘があり、太宰府観世音寺の梵鐘とほぼ同時期に粕屋郡内の何処かの同じ工房で鋳造されたと伝えられています。

多々良川の入り口には、元寇の襲来に備えて船の進入を防ぐための乱杭が打たれていたとの記録もあります。

 この付近は、足利尊氏菊池武敏が対峙した「多々良浜の合戦」の足利勢の本陣跡の「陣の越」も近くにあり、多々良川一帯が一望できます。

 また、多々良浜の合戦中に足利尊氏が援軍を頼むとの書状を鎧の片袖に包んで送った場所が「片袖塚」または「将軍使い」の名で残っています。


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『いにしへは ここに鋳物師の跡とめて

        今もふみみる たたら潟かな』

細川幽斎
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多々良潟