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【佐賀県佐賀市】男女神社

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佐賀県佐賀市鎮座の男女神社

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 「今山の合戦と男女神社」

今山の合戦とは、戦国時代、豊後の国(大分県)の大名、大友宗麟肥前の国(佐賀県)の大名、龍造寺隆信との合戦で、龍造寺の家老の鍋島直茂候(後の佐賀藩祖)が、この今山の地で、大友六万の大軍に僅か七百の兵で奇襲し、総大将大友親貞(宗麟の弟、又は甥)を討ち取った戦いである。

 当時この地は仏教繁栄の霊地で、男女神社は、東の谷に講堂棟、西の谷に楼門を持つ大社であり、光明寺(男女神社南東約800メートルに位置し、今は廃寺)の座主(最高位の僧侶)が、男女神社の神座を勤めていたが、この戦いの日に戦火に焼かれ、宝物、古文書等は全て焼失する。

 元亀元年(1570)、大友六万の大軍に包囲された佐賀城は、五千の兵力しかなく、軍評定で籠城や降伏論が飛び交う中、鍋島直茂は奇襲(夜襲)を進言、無謀だと否定的だった龍造寺隆信も、母の慶誾尼(けいぎんに)の激で奇襲を決行する事となる。

 大友軍本陣は男女神社東の赤坂山中腹に布陣し、八月二十日(陽暦九月十九日)を佐賀城総攻撃と定め、その前日に勝利の前祝いの酒宴を開いた。

 主演の情報を知った鍋島直茂は、午後六時頃、佐賀城を僅か十七騎で出発したが、近隣の武将たちも次々に駆け付け、今山に着く頃には七百余りの兵になり、地元の山伏達の量力を得、男女神社の西側から谷伝いに山を登り、密かに大友軍の背後、赤坂山裏側に潜伏する。

 明朝七時頃、男女神社北東の大松(昭和三十年頃迄存在)に掛けた鐘の合図で、「寝返った者が出た」と虚報を流し、一斉に奇襲を敢行、武具も付けず油断していた大友勢は大混乱に陥り、同士討ちを始めた軍中で、総大将親貞主従三人は何とか混乱を脱したが、山伝いに逃れるところを、首を挙げられてしまう。総大将を討たれた大友軍は一瞬にして烏合の衆と化し、二千余の兵を討たれて潰走、奇襲は大成功に終わった。

 その時、鍋島勢は各々鬼面を冠り、鐘、太鼓を打ち鳴らして奇襲をかけたと伝えらえ、佐賀の郷土芸能の面浮流として現在も残っている。

 男女神社は承応三年(1654)佐賀初代藩主鍋島勝茂候・小城藩鍋島元茂候の出資で再建、また鍋島元茂は、古戦場跡に正勝寺(平石に現存)を建立する。

 大正十五年(1926)佐賀で陸軍特別大演習が行われ、御前講和で今山の合戦の講和がなされ、昭和六年(1931)陸軍大学参謀演習にて、秩父宮雍仁親王殿下が、今山の合戦ご研究のためこの地に立たれ、前方の小円古墳の上に記念碑が建てられている。


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「男女神社(旧村社)由来記」

神社の祭神は男女二神である処から縁結び並商売繫昌農の神で古来より尊崇されている。元亀元年(1570)今山の陣で兵火の為、宝物古文書等焼失し、その創建年月は不明であるが、少なくとも今より六百五十年以前に創建されていたと推定される。

七百年の昔建治年間正空上人が光明寺(現在廃寺)を男女神社の南東に建立しその子院末寺も建ち並び此の一帯は仏教繁栄の霊地であったといわれ今も其の地名が残っている。

この頃は神仏習合(混淆)の時代で光明寺の和尚が代々に亘って男女神社座主として管理し神座を勤めていた。昔は大社にて東の谷に講堂あり西の谷に楼門ありし由是故に、東の講堂、横馬場と唱え西を楼門谷と称し、今に堅馬場、横馬場等の地名を有し持って当時の盛大なりし事を想い起こされる。現在の神社は今山陣の兵火で焼失し後に再建されたことは棟銘にもあり承応三年(1654)今から三百三十年前に佐賀初代藩主鍋島勝茂候、小城藩鍋島元茂候の出資で再建された事が記されてあり、ここに立てば佐賀平野を眼下見渡された。秩父宮殿下の御立ち寄りの碑もあり、遠く有明の海をへだてて、雲仙の山々が望見され社殿直前には横穴式石室を有し、此の周辺には数百の大小円墳があったが、今はみかん園となり其の面影はない。

現在も大字久留間の氏子により春秋の例祭が行われている。

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「鞘の神」

鞘の神は刀身の鞘が由来で、子授け、子孫繁栄、夫婦円満、安産の神とされる。

また疫病災厄等を防ぐ神としても伝えられる


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拝殿
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本殿

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神社名 男女神社
住所 佐賀県佐賀市大和町大字久留間5109
TEL 0952-62-1951
御祭神 伊邪那岐尊伊邪那美尊
創建年 1350年頃
社格 村社
建築様式  
駐車場
御朱印