【福岡市中央区】平尾八幡宮
平尾八幡宮は、慶長の始め(17世紀前後)に創建の地、古宮より旧平尾村の北の小高い現在の場所に御遷座されたと伝承されています。御祭神には八幡大神(応神天皇)、神功皇后(応神天皇の母神)珠衣姫命(神武天皇の母神)の三神をお祀りし、平尾の産土神(氏神・鎮守の神)として地域住民に崇拝されています。
当八幡宮の起源は社家の説では、始は旧平尾村の南へ五町(約550m弱)ほど、旧高宮村に寄った場所に創建されました。その古宮の地は、仲哀天皇と神功皇后が熊襲平定・三韓遠征のため船で瀬戸内を航行して九州に入られ那の大津に上陸して小憩されたと伝えられています。又天正の九州遠征の折、豊臣秀吉公も仲哀天皇と神功皇后の吉例にならいこの道を通られたと伝えられています。その場所に、いつの時代からか里人が社祀を建て崇め祭るようになりました。
享保十七年(1732年)の大飢饉の時は、平尾八幡宮が村人の生きる心の支えとなり村の安泰と発展の中心になりました。天明八年(1789年)には、享保の大飢饉を振り返り、平尾村の発展と平和に感謝して村人により、社殿が造営され、その後、改修・改築を重ね今日に至っています。
明治五年には村社に改められ、大正十四年神選幣帛供進神社の指定を受けましたが、戦後は廃止されました。
それ以降、郷土平尾の鎮守の神として、家内安全、交通安全のご神徳で地域住民の広い尊崇をうけ平尾地域の発展に伴い平尾八幡宮の神域も大発展を遂げ今日に至っています。
拝殿
本殿
神社名 | 平尾八幡宮 |
住所 | 福岡県福岡市中央区平尾4丁目10 |
TEL | |
御祭神 | 応神天皇、神功皇后、珠衣姫命 |
創建年 | |
社格 | 村社 |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |