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【長崎県諫早市】高城神社

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長崎県諫早市鎮座の高城神社
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若杉霊神

 若杉春后は諫早藩士で晩年を森山町井牟田名で晴耕雨読の生活を送っていた。生来、学問を好み詩文にたけ、また書にも優れていた。この人が世に霊神として仰がれ郷土諫早の救世主として敬われるようになったのは次のような理由からである。

 寛延三年(1750)佐賀藩は藩財政のたて直しと諫早領主の不調法を理由に、諫早領内の四千石を没収した。これまで、度重なる佐賀よりの圧政に耐えかねた領内数万の農民は諫早領主を思うあまり、遂に佐賀藩に対し反旗を翻し決起した。世にいう諫早の百姓騒動である。この時、春后は七十二才の高齢であったが、佐賀藩の仕打ちに悲憤し、この騒動の先頭に立ち、長崎奉行・日田代官・大阪城代を通じ事の真意を幕府に訴えようとした。

 しかし、この行動は佐賀藩の知るところとなり、春后等は捕らえられ、佐賀で処刑された。その後、この一連の事件を佐賀藩でも勘案してか、十七年後の明和四年(1767)先に没収した四千石を佐賀藩鍋島直茂公の百五十年祭の供養という名目で返還してきた。このことは、若杉春后等が一命を賭して働いた賜物であるとして、第十一代領主茂図公は春后の遺徳をたたえ、この若杉霊神を建立したのである。

 また、表義碑は昭和十五年、諫早教育会が春后を偲び建立したものである。


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拝殿
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本殿

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神社名 高城神社
住所 長崎県諫早市高城町1−5
TEL 0957-22-0650
御祭神  
創建年  
社格  
建築様式  
駐車場
御朱印