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【福岡県諫早市】諫早眼鏡橋

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諫早眼鏡橋物語「いさはやのめがね橋、行き戻りすればおもしろかなり(かぞえ唄)」

  1. 橋のない城下町

市内を貫いて流れる本明川は地形の関係上、昔より荒れ川と言われ、大洪水の繰り返しを続けてきました。それにより橋という橋はことごとく流され、文化七年(1810年)の大洪水以来30年間は「橋のない城下町」として住民の生活は不便を強いられていました。

2、虹の石橋 眼鏡橋

時の領主「諫早茂洪(しげひろ)公」(十二代領主:1816~1844年)は住民の願いをかなえるため、「流れぬ橋」「こわれぬ橋」そして「あの大空にかかる虹のような橋」をかけよと指示をされました。本明川の川巾を勘案した結果2連式アーチ型が採用され「虹の石橋」ともいわれ、優美な姿を今も残しています。

3、永久不壊の石橋

諫早人の全知全能をしぼった橋は、天保10年(1839年)に完成、以後一度も流失することはありませんでした。人々が願った「流れぬ橋」を建設するにあたり、「未来永劫に離れぬように」と、永遠の愛を確かめ合う男女の姿を石に彫り止め、石工の呪い(まじない)の彫刻が施されていました。職人も領民も愛し合う2人のように「永久に毀れ(こわれ)ない」よう願ったのでした。


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諫早眼鏡橋