【福岡県大牟田市】倉永諏訪神社
楼門
由緒
倉永字御手洗にあり、
由緒 里老の伝説に依れば、当村内に温厚高徳にして敬神の念あつき杉野孫四郎と云う者あり。速夜厳かなる神来りて枕辺に告申されたり「汝渡瀬の辺に御神体三体ありその御神体を捧げ持ち来り、産土神としていつき祀るべし」斯ること三夜つづく。孫四郎は、翌朝急ぎ至り見れば、果たして三体あり、霊夢と少しも異らず。村に遷さんに物なし。幸いに塩俵あり、この俵に包み奉りて帰へり、邑人と相議り、産土神として斉奉る。時に嘉暦元年二月、社地を選び神殿造営竣工し、三月十五日鎮座祭を執行す。孫四郎は杉野の姓を改めて塩塚孫四郎と号す。明治六年村社に選定
倉永と諏訪神社
倉永の名称は「南筑明覧」に応神天皇九年武内宿祢九州を巡視し、船宮崎に来着し、供奉の人々其の西南海浜に集合す。依て其の地を供永と称し、転じて倉永と称するに至れりとあり大字宮崎の内に、小字亀崎とあれば、其辺なるべし。其の地より西南、海を隔て倉永あり、供奉の人々の集まり■處なるべく、今も小字御手洗あり、清水太古より湧き出で、祭祀用として神聖視せられたるなるべし、さすればこの倉永は、船舶の集まる處、人家多く、此地方の中心たること想像するに難からず、
倉永には、諏訪神社あり。同神は坂上田村麻呂蝦夷征伐(西暦800年頃)の当時祈願して霊験あり、其後武将の加護を祈るもの甚だ多く八幡と同じく武神として有名の神たち、且又大国主神を助けて国土を治めし農業の神として尊崇せらる。(「龍山先賢と郷土」より)
拝殿
本殿
神社名 | 倉永諏訪神社 |
住所 | 福岡県大牟田市倉永875−2 |
TEL | 0944-58-1081 |
御祭神 | 建御名方神、八重事代主神、奴名河比売神 |
創建年 | 1326年 |
社格 | 村社 |
建築様式 | |
駐車場 | 有 |
御朱印 |