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【大分県臼杵市】八坂神社

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大分県臼杵市鎮座の八坂神社
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本神社は昔奥州磐前(福島県いわき市)鶴ヶ峰にお祀りしておりましたが、源義家公の清原討伐(後三年の役)の戦乱を避けるため船により安芸国尾道を経て臼杵庄洲崎岩ケ鼻に着岸し、神ノ木原に鎮座されました。後、臼杵の総鎮守として広く崇敬されておりましたが、大友宗麟公がキリスト教に帰依して領内の社寺焼討を行ったとき、その難を避け御神体を田町見星寺裏の岩窟、海添の岩窟(現在御旅所)津久見の八戸、後には日向の飫肥に御遷座申し上げておりました。大友氏改易の後、臼杵城主太田一吉公の命により、丹生嶋城三ノ丸廊内(現在地)に社殿を造営して御遷座。現在に至っております。太田氏の後臼杵城主となった稲葉氏も代々崇敬の念厚く神殿・拝殿の造修、神幸祭の創始とそれに伴う御旅所の造営、御輿ほか各種御道具の寄進ありました。明治維新後は社名を「祇園宮」から「八坂神社」に改めましたが、現在、「祇園様」と呼ばれて市民に親しまれております。

 

略年表

天延元年(972)藤原道兼公奥州磐前鶴ヶ峰に祇園三所天王を勧請

永保三年(1083)後三年の役の難を避け御動座

承徳元年(1097)六月十五日、臼杵に着岸、神ノ木原に鎮斎

天正十一年(1583)大友宗麟公の社寺焼討の難を避け御動座

慶長三年(1598)太田一吉公、現在地に社殿を造営し御動座

慶長十六年(1611)稲葉典通公、神殿・拝殿を造営

寛永十九年(1642)稲葉信通公、御旅所を造営

明和七年(1770)三月二十二日、祇園宮炎上、高見寺より出火

明和七年(1770)五月仮社殿上棟遷宮

安永五年(1776)六月三日現社殿竣工(大工棟梁、山崎平内重矩・宇野庄衛門吉矩)

文化八年(1811)神殿の瓦を銅板に葺き替える

天保六年(1823)五月二十五日、稲葉幾通公、現旅所社殿改築竣工

明治四年(1871)社名を「八坂神社」に改称、丹生嶋明神を臼杵城より合祀

大正十三年(1924)六月、県社に昇格

昭和二十三年(1948)神殿の改修、拝殿の新築、神楽殿の移築を行う

昭和三十年(1955)菅原神を稲葉家より合祀

昭和三十五年(1960)摂社改築

平成七年三月十日(1995)大分県有形文化財指定 本殿 一棟


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拝殿
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本殿

 

神社名 八坂神社
住所 大分県臼杵市臼杵1−番地
TEL 0972-62-3673
御祭神 建速須佐之男神、奇稲田■神、大国主神、丹生嶋明神、菅原神、事代主神
創建年 972年
社格 県社
建築様式  
駐車場
御朱印