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【山口県周南市】遠石八幡宮

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山口県周南市鎮座の遠石八幡宮
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遠石八幡宮

 

 遠石八幡宮は、社伝によると推古天皇の三十(622年頃)年春、豊前国宇佐八幡宮の分霊を祀ったことに始まるとされます。鎌倉時代の初め、東大寺大勧進俊乗坊重源が周防国務管理者として在任中に社殿を再建しました。その後、近世に至って徳山藩初代藩主毛利就隆が神殿を、五代藩主広豊が楼門、長廊等を再建しました。

 参道向かって右側の鐘楼に吊るされている銅像洪鐘は、鎌倉時代のもので、元暦元(1184)年壇ノ浦合戦直前の戦いの際に流矢が当たった鐘と、その後、造り直した鐘とを合わせて、改めて元応二(1320)年に造り直したことが銘文に記されています。昭和49年に市指定文化財(工芸品)に指定されました。


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銅像洪鐘

 

 この鐘は、高さ125センチ、口径73センチで、高さにくらべて口径がやや大きく、堂々とした鎌倉時代の鐘の特徴をあらわしています。

 鐘銘には、この鐘を鋳造するに至った理由や、鋳造年号が入っており、市内に残る工芸品として大変貴重であり、昭和49年9月24日、市指定有形文化財(工芸品)に指定されました。

 銘文に「元暦の戦いで、鐘に流れ矢が当たり破損して鐘声が悪くなった。そこで正和五年(1316)、新たに鐘を鋳造したが、やはり音が思わしくなかった。ついに流れ矢が当たった鐘と造り直した鐘を合わせて、改めて元応二年(1320)に造り直した」と記されています。

 

銘文(陰刻)

(一区)

諸行無常 是生滅法

生滅滅巳 寂滅為楽

(二区)

日本周防国 八幡遠石宮

華鐘深夜響 断晝且千夢

 

(三区)

■古巳来和霜者漏更之告■

暗天之聴久然而元暦挑戦之

間流矢中■之後雖■鯨■如

撞瓦礫■茲正和五年仲春下

句聖舜法眼普唱知識九乳新

成一音是闕形以蒲牢聲非■

■承軒■之命異怜倫之作方

今探藏否於占ト感聴許於幽

冥■以錬ニ口■一躰益社壇

利宇宙而巳

 

(四区)

元応二年庚申十二月十二日 鋳物師大和貞清

        願主 沙弥佛然

        宮司 法眼和尚位聖舜

   神主 左衛門尉大中臣貞直

大俗別當兼預所従五位下豊前守平朝臣景光


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銅像洪鐘
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由緒

 推古天皇30年(622)に宇佐八幡大神の神霊をまつり、和銅元年(708)に社殿を造営。平安時代には、石清水八幡宮の別宮となり「本朝四所八幡の一つ」と称されました。また毛利徳山歴代藩主の崇敬篤く、祭礼には諸国から参詣を集め門前は賑わい、明治の社格では県社となりました。


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拝殿
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本殿

 

神社名 遠石八幡宮
住所 山口県周南市遠石2丁目3−1
TEL 0834-32-8888
御祭神 応神天皇神功皇后宗像三女神
創建年 622年
社格 県社
建築様式  
駐車場
御朱印