【福岡県行橋市】正八幡宮
中津街道の概要
この地域では「中津街道」の名で親しまれる「豊前道」は、豊前国・小倉城下から豊後国・府内(大分市)へ通じる東九州を代表する江戸時代の脇街道のひとつで「小倉道」などと呼ばれることもあります。
江戸幕府は、慶長年間、全国の道路網を整備し、通行人を取り締まる関所を設けました、豊前国でも、小倉城下の中津口を起点に、曽根、苅田、行事、大橋を通り椎田から八屋を経て中津に至る十三里(約52キロ)の「中津街道」が整備されました。道幅は平均で約4m(二間二尺)に整えられています。
行橋市内のルートは今も残り、生活道路として利用されています。
上の絵図は江戸時代末頃に描かれた「大橋村行事村宮市村見取図」ですが、ほぼ中心に中津街道が通っています。
正八幡神社境内之図の解説
絵図は、東南上空から左手(南側)に正八幡神社(正八幡宮)境内を、手前(右下)に、門樋通りの旧街道筋、右手(北側)に大橋、宮市、行事の街並みを描いています。明治時代に書かれたもので、神社周辺は水田でした。約百年前の行橋町の様子がしのばれます。
大正十二年五月、行橋町耕地整理事業が着手されました。直角の区画を伴う、行橋駅東側における市街地の原型は、大正時代末から昭和初期のこの事業によってできあがったものです。
正八幡神社境内には、耕地整理事業を記念して昭和十五年に、「立功不朽之碑」が建てられています。
むすひ玉
御神木
市指定文化財
木造八幡神座像
この神像は昭和五十一年に発見されるまで正八幡神社の神殿内で人目に触れることなく保管されていたものです。
高さ26・6cmの針葉樹材の寄木造の像で衣には彩色し、肌の部分は金色に漆箔を施しています。八幡神は僧形あるいは衣冠束帯の貴紳の姿につくられることが多い中で、この像は仏教の菩薩の姿をしており、神仏習合の古い様相を示す貴重な神像といえます。手先が失われていますが、それ以外の状態は良好で、彩色も薄らいでいるものの、当初のものと考えられます。
像の内面にはこの神像が天文■丑年(1553)に造られたとする銘文が刻まれていますが、彫刻史的な年代観とも大きな矛盾は無く、室町時代後期の作品と考えられます。
大らかさと森厳さをあわせ持ち造形的にも秀でたこの神像は京築地域の室町時代後期彫刻の基準的作例としても重要です。
拝殿
本殿
神社名 | 正八幡宮 |
住所 | 福岡県行橋市神田町8−1 |
TEL | 0930-22-0943 |
御祭神 | |
創建年 | |
社格 | |
建築様式 | |
駐車場 | 有 |
御朱印 |