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【佐賀県有田町】大樹神社

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佐賀県西松浦郡有田町鎮座の大樹神社
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由緒の概要

 祭神は人皇第八代孝元天皇三十廿の孫にして父は屋主忍男武雄心命母はその直縁■紀家の遠祖兎道彦の娘影姫で第十三代景行天皇の三年二月屋主忍男武雄心命■奉して群神を祀らんがため紀伊に下り阿■原に■・・■武内宿祢命である。

 藤原鎌足三■の孫に廣嗣と言う人あり奈良時代に於ける政治上の問題に端して発し廣嗣上裏して時の聖務天皇に寵愛を■りし僧玄昉と吉備の真備を■せんと事成ず。遂に天平十三年十二月紀飯麿勅を奉じて藤原廣嗣を討伐し其祖武内宿祢命が神功皇后に従い三韓平定のため出陣準備をととのえられし遺跡である当町浄原寿川畔を訪れうたに今昔の感に堪えず茲に祭壇を始末して始祖武内宿祢命を祀り戦勝を報告せしに創するという爾後郷氏鎮守の神延命息災又五穀豊穣の神として崇敬するに至る。

 其の後、近衛天皇文寿年間鎮西八郎為朝黒髪山に大蛇を退治したゐ後、暫く此の地(現在地八郎山)に寓し甚だ当社を信仰したという。

 今を去る四百六十年前浄源寺川の畔にありし当社を今の地に移し珍珠大名社と唱え来りしが明治六年前社名を大樹神社と改称し村社に列せられ終戦後は宗教法人■神社として大木大部落の総氏神として今に至れるものなり。

「註」珍珠は海陸交通安全の霊を言う大明神とはその地の最高の神を言う


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肥前鳥居
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拝殿
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本殿

 

神社名 大樹神社
住所 佐賀県西松浦郡有田町桑木原乙乙1317
TEL  
御祭神 武内宿祢命
創建年 740年
社格 村社
建築様式  
駐車場  
御朱印