【佐賀県武雄市】黒髪神社
由緒
黒髪神社は、崇神天皇十六年に朝廷の勅願社として黒髪山を卜して鎮座されたと伝えられる、肥前最古の由緒をもつお社です。
頂上の天童岩には、原初の信仰形態である磐座信仰の姿が伝えられ、また太陽穀霊崇拝にちなむ天童信仰がみられるところからも、歴史的古さが窺われます。
平安末期の史料、「武雄神社文書(国重要文化財)」には、当社は「朝廷ノ御祈祷所」で「杵島郡第一ノ霊社」とみえます。鎌倉期以降、天台修験と結びついた熊野信仰が伝播してくると、神仏習合の様相が強まり、やがて「黒髪大権現」の称号で呼ばれるようになります。末社・掛社は杵島郡・松浦郡を中心に五十社に及んでいました。
戦国期には、諸武将が誓願の起請文として用いた「牛王法印」守札を発行しており、上宮・中宮・下宮の三所からなる規模とともに、社格の高さをあらわしています。江戸期の祭礼日は「士民群集シテ市ヲナス」賑わいであったと古記にあります。
秋のお供日に奉納される流鏑馬は、永万元年、大蛇退治の願成就として当社下宮に於いて奉納したのが始まりで、現在まで八百四十有余年続く伝統神事となっています。
下宮二の鳥居(肥前鳥居)(宮野・黒髪神社内)
市重要文化財(建造物)
黒髪神社は県内で最も古い神社のひとつです。上宮の参道には、一の鳥居・二の鳥居があり、下宮の二の鳥居とともに肥前鳥居となっています。上宮一の鳥居は安永6年(1777)に石橋助右衛門長英の寄進によって建てられ、扁額には図柄が描かれており特異なものです。上宮二の鳥居は安永6年以前に建てられたと考えられています。また、下宮二の鳥居は延宝3年(1675)に武雄頼長と弟順久の寄進によって建てられたものです。
下宮二の鳥居
下宮二の鳥居(肥前鳥居)(宮野・黒髪神社内)
市重要文化財(建造物)
黒髪神社は県内で最も古い神社のひとつです。上宮の参道には、一の鳥居・二の鳥居があり、下宮の二の鳥居とともに肥前鳥居となっています。上宮一の鳥居は安永6年(1777)に石橋助右衛門長英の寄進によって建てられ、扁額には図柄が描かれており特異なものです。上宮二の鳥居は安永6年以前に建てられたと考えられています。また、下宮二の鳥居は延宝3年(1675)に武雄頼長と弟順久の寄進によって建てられたものです。
上宮一の鳥居
黒髪神社流鏑馬神事の由来
旧武雄領主鍋島家所蔵の「後藤記」の中に有る「大蛇退治祈願成就流鏑馬式」の項に依れば昔、黒髪山に大蛇棲み里人を悩まし、為に里人は恐れ戦き領主に大蛇退治を願い出た。領主は早速退治することとなり、先づ無事退治をされるように黒髪神社に祈願をなし、鎮西八郎為朝に依頼して大蛇を退治したが最后の止めを刺したのは盲僧であった。その願成就の為、領主は永万元年(今から八百有余年も前)乙酉二十九日黒髪神社へ社参上宮は難所とて麓の下宮にて流鏑馬を奉納したのが起源で、それ以来欠かすことなく毎年十月二十九日の例大祭(お供日)に奉納し今日に至っている。
大蛇については三つの説がある。
拝殿
神社名 | 黒髪神社 |
住所 | 佐賀県武雄市山内町1093−2 |
TEL | 0954-45-2104 |
御祭神 | 伊弉冉尊、速玉男命・事解男命、菅原道真公命、今山鎮守神 |
創建年 | 上宮 崇神天皇十六年(約2000年前) 下宮宝亀元年(西暦715年) |
社格 | |
建築様式 | |
駐車場 | 有 |
御朱印 | 有 |