【長崎県大村市】大村藩三十七士の碑
大村藩三十七士の碑
日本中が勤王か佐幕かと混迷していた幕末のころ、大村藩では、渡辺清・昇兄弟・針尾九左衛門、松林飯山、長岡治三郎、楠本正隆らを中心として、勤皇の動きがありました。彼らは、同志で血盟を結び、密かに会合を続け、諸藩の志士と交わり、時の藩主大村純熈へ幾多の建言を行うなどその活躍はめざましいものでした。この同士が後に三十七士と呼ばれ、幕末の大村藩を率いた集団です。
慶應三年(1867)中心人物の一人であった松林飯山が暗殺された事件を契機に佐幕派の多くが処罰され、藩論が勤王に統一され、倒幕に向かいました。
明治二年、新政府の論功行賞により大村藩に与えられた賞典は、薩摩、長州、土佐に次ぐ三万石であり、倒幕における大村藩の活躍が高く評価されたことがうかがえます。このことは、藩主の英断とともに、その原動力となり藩を率いていった三十七士の活躍によるものが大きかったと思われます。
これらの碑は、三十七士の功績を讃えるため、倒幕の際に倒れた人々の祭ってある当地に、三十七人の碑を死没の順に並べて建てられました。明治三十六年に建設が始まり、幕末に倒れた松林飯山を筆頭に、大正六年に三十七基がそろい、現在に至っています。
大村藩三十七士の碑
遺跡名 | 大村藩三十七士の碑 |
住所 | 長崎県大村市玖島2丁目 |
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年代 | 幕末 |
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