【長崎県長崎市】諏訪神社
御由緒
長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて長崎市内に祀られていた諏訪・森崎・住吉の三社は、焼かれたり壊されて無くなっていたのを、寛永二年(1625)に初代宮司となる青木賢清により、官許を得て西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興し、長崎の産土神としたのが始まりです。
さらに、慶安元年(1648)徳川幕府より朱印地を得て、現在地に鎮西無比の荘厳な社殿が造営されました。
諏訪神社は、幕府の朱印状に「諏訪大明神ノ社」と記され、「正一位」の神階と「鎮西大社」の称号を朝廷から賜り、更には、江戸時代中期の第百十二代霊元天皇さまから「神」一字の揮毫を親授され、長崎の氏神として、その時々の人々から厚い崇敬を受けてきました。
安政四年(1857)不慮の火災に遭い、社伝の殆どを焼失致しましたが、孝明天皇(明治天皇の御父君)の思召しにより、約十年の歳月をかけて明治二年(1869)以前にも勝る社殿が再建され、さらに、御鎮座360年(昭和五十九年)370年(平成六年)を記念して、二度の造営を重ね現在の社殿が完成されました。当神社の大祭(長崎くんち十月七・八・九日)は、絢爛豪華で異国情緒のある祭として日本三大まつりの一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
神門
「まよひ子志らせ石」由来(迷い子知らせ石)
この石柱は、明治十二年、当時の長崎県警察課、警察署に在勤する警部一同の手によって建立された。
当時ここら一帯は氏神を詣でる庶民の往来で賑わったが時には人ごみにもまれて親を見失う子等も少なくなく、不安に泣き叫ぶその姿が道行く人々の憐を誘った。
この実情を見かねた数名の警部は互いに資金を寄せ合ってこの石柱を建て、親と子の安心を念願したのである。
雑踏で子とはぐれた親は北西の「たづぬる方」石面に住所と子の名を書き記し、迷い子を見かけた人はその子の手を引いて、子の名、年齢、特徴等と共に、わが名、住所を南面の「おしゆる方」石面にしたため、親の姿を待った。
やがて子は再び親の懐に抱かれ、人々との暖かい思いやりに涙を流して手を合わせしっかりと手を握り合って去るその姿は数知れなかったといわれる。
迷い子知らせ石
止め事成就の狛犬
社伝によれば「止め事に霊験著しい狛犬あり」とあります。
昔から、家出の足止め・借金止め・受験のすべり止め・更に禁酒禁煙などの願い事に、コヨリを狛犬の足に巻き祈願する信仰があります。
止め事成就の狛犬
御神池
拝殿
本殿
神社名 | 諏訪神社 |
住所 | 長崎県長崎市上西山町18−15 |
TEL | 095-824-0445 |
御祭神 | 建御名方神・八坂刀売神・伊邪那岐神・伊邪那美神・表筒之男神・中筒之男神・底筒之男神 |
創建年 | 1625年 |
社格 | 旧国弊中社 |
建築様式 | |
駐車場 | 有 |
御朱印 | 有 |