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【長崎県長崎市】若宮稲荷神社

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長崎県長崎市鎮座の若宮稲荷神社
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方形の鳥居

鳥居の柱が方形で作られた珍しい鳥居。旧長崎奉行内の稲荷社に文政三年(1822)に長崎奉行土方出雲守が奉納し、明治三十二年(1899)に当神社に移される。


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方形の鳥居
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坂本龍馬と若宮稲荷神社

 若宮稲荷神社は「勤皇稲荷」とも呼ばれています。これは、当稲荷が南北朝の武将・楠木正成(1336没)の守護神であったことにちなみ、幕末に来崎した諸藩の志士が多く参詣したためと言われています。

 幕末当時、頼山陽の『日本外史』等の影響により、楠木正成の人気が高まり、勤皇の志士たちの厚い尊敬を集めていました。

 坂本龍馬(1835~1867)も正成を崇拝していたらしく、正成の最期の地である神戸・湊川では「月と日の むかしをしのぶ みなと川 流れて清き 菊の下水」という歌を詠んでいます。また、今も残る写真には、正成所持の刀を模して作らせたと言われる脇差を、腰に差した姿でおさまっています。

 若宮稲荷神社は、龍馬の創設した亀山社中や、盟友・佐々木三四郎と会飲した料亭・藤屋にも近いことから、たびたび参詣して、日本の維新回天が一日も早く成就する事を祈っていたのではないでしょうか


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坂本龍馬之像
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御由来

「古いお宮を若宮」と親しまれている当神社は、その昔南北朝時代の忠臣楠木正成公の守護神(稲荷大神)を延宝元年(1673)に現社地に奉斎したと伝えられる。鎮座以来三百有余年の歴史の中、特に元文元年(1736)に長崎奉行細井因幡守安明が参道を開削し社殿を改築し敬神の誠を捧げられたのを初めとして、代々の奉行は固より世の多くの人々の崇敬をあつめ今日に至っている。また明治維新前後には当社を勤皇稲荷と称し、坂本龍馬をはじめ長崎に来住する志士等の多くが当社にたびたび参拝し、日本の新しい夜明けが一日も早く来ることを祈願したと云う。又、境内には坂本龍馬之像が建立されている。

 

竹ン芸(国無形文化財

 毎年十月十四日、十五日の例大祭に奉納されるもので、白狐(雄狐、雌狐)に扮した若者が十数米の青竹(男竹、女竹)の上で竹ン芸囃子に合わせて種々の妙技を演ず郷土民芸。その起源は中国伝来の羅漢踊といわれている。

 

方形の鳥居

 鳥居の柱が方形で作られた珍しい鳥居。旧長崎奉行所内(現長崎歴史文化博物館)の稲荷社に文政五年(1821)に長崎奉行土方出雲守が奉納し、明治三十二年(1899)に当神社に移される。

 

史跡

 神社周辺には、青華白磁の名陶として有名な亀山焼(1805~1867)の窯跡、坂本龍馬ゆかりの亀山社中跡、亦わが国西洋料理発祥の良林亭跡があり往時が偲ばれる。


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拝殿
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本殿

 

神社名 若宮稲荷神社
住所 長崎県長崎市伊良林2丁目10−2
TEL 095-822-5270
御祭神 稲荷大神
創建年 1673年
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印