【福岡県田川郡香春町】香春神社
福岡県田川郡香春町鎮座の香春神社
祭神及び創立
第一座 辛国息長大姫大自命
神代に唐の経営渡らせ給い崇神天皇の御代に御帰国香春一の岳に鎮まり給う
第二座 忍骨命
天照大神の第一皇子にして二の岳に鎮まり給う
第三座 豊比売命
神武天皇の外祖母住吉大明神の御母にして三の岳に鎮まり給う
当神社は前記三柱の神を奉斎せる神社にして遠く崇神天皇の御宇に創立せられ、各神霊を香春岳上頂三ケ所に奉祀せしが元明天皇の和銅二年に一の岳南麓に一社を築き三神を合祀し香春宮と尊称せらる。
延喜式神名帳に在る、豊前一の宮六座の内の三座なり、明治四年九月郷社に列せられ、香春神社と改称。明治六年七月十五日県社に列せられ今日に至る
創建及び沿革
和銅二年(709)、一の岳南麓に一社を建立し、三神を合祀したのが起こりとされ、延喜七年(903)、延喜式神名帳に「田川郡三座」「香春社」として名前があげられる。戦国期、豊臣秀吉九州平定につき社領没収等により神社衰頽、小笠原藩によって再興し、明治四年「香春神社」と改称。同六年「県社」に定められ現在に至る。建築物として鳥居や手洗盤などは江戸初期であるが本殿以下は文化・文政の頃に建て替えが行われ今に至っている。ただし、西側回廊については損傷激しく平成に入り改築されている。
本殿
総欅造身舎の各柱に絵様頭貫木鼻を付ける。この手法が文化年間建立の神社建築であり、紅梁の絵様や本かえるまたの形式などから文化年間の建立と思われる。なお妻大瓶来結錦の房を束ねた形式から大内文化の特色の一つらしい
拝殿
紅梁や木鼻の絵様、蟇股の形式などから十九世紀中頃であろう、幅10m、奥行約6m
東回廊
東・西回廊ともに基本的には同形式である。正面八間、折れ曲がり側面七間、梁間二間、入母屋造、文化から文政の頃の建立
石垣
文化元年(1804)寅 九月建設、石垣師は英彦山修験者による。
山王石
昭和十四年六月三十日、午後三時、かつてその威容と峻厳なる姿から神秘の御岳と呼ばれ、古くから畏敬の念を持って人々に親しまれた眼前の香春岳一の岳山頂より、轟音と共に降って湧いた如く巨大石が落下し、静かに当時そのままの雄姿で現在地に鎮座しています。
香春神社神殿は直撃を免れ、人災も無く、正に奇跡の神としか言い様のない神秘の出来事であり、人々が奇跡の神として、この身に奇跡の授かりをと願う参拝者が多く見られるようになりました。
巨大石は、山頂の山王神社にちなんで「山王石」と命名され、奇跡神秘な神業、神の宿る石として香春神社で祭られております。
山王石
庭の千草(菊)
庭の千草も 虫のねも かれて さびしく なりにけり ああ しらぎく 嗚呼 白菊 ひとり おくれて さきにけり
作詞 里見 義
原曲 アイルランド民謡
埴生の宿
埴生の宿も わが宿 玉のよそい うらやまじ のどかなりや 春のそら 花はあるじ 鳥は友 おしわが宿よ 楽しとも たのもしや
作詞 里見 義
原曲 ビショップ
里見 義
文政七甲申七月廿七日生 号、竹風小倉藩士「校監・寄会」明治七年甲戌八月 香春神社祠官、明治十四年五月文部省 音楽取調係 在任中、二十数曲の「唱歌、作詞、日本文典」等十数冊の著書、その他既刊、未完の著書も多い。
明治十九年 依願免官
本殿後ろの石仏
西回廊
東回廊
拝殿
本殿
神社名 | 香春神社 |
住所 | 福岡県田川郡香春町大字香春733 |
TEL | 0948-52-0673 |
御祭神 | 辛国息長大姫大自命、忍骨命、豊比売命 |
創建年 | 709年 |
社格 | 県社 |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |