【福岡県糸島市】高祖神社
高祖神社創立の由来
高祖神社は彦火々出見命を主座に、左座に玉依姫命、右座に息長足姫命の三柱をお祀りする神社で、いま創建の時を詳かに出来ないが、九州諸将軍記には『神代より鎮座あり神功皇后、三韓より凱旋の後、当社の社殿を乾の方に向け御建立』と記されている。この機縁で神功皇后を相殿にお祀りした、と伝えている。
当社は、古代から怡土郡の惣社(中世には怡土の庄一の宮)と崇敬される神社で、三代実録には、今から約千百年前の元慶元年九月二十五日発亥『正六位高■比売神に従五位下を授く』と記されている。この高■比売神とは高祖神社のことで、相殿に玉依姫命、息長足姫命をお祀りしてあるので、このように呼ばれていると語り伝えている。
明治五年十一月怡土郡郷社、大正四年十一月神饌弊帛料供進社、大正十五年六月二十九日県社昇格、昭和二十八年七月二十日域外境内社として高祖椚に幸神社、庚申社、高祖浦方に天神社を含め宗教法人高祖神社を設立し高祖区民の崇敬を集めている。また境内神社として伊弉諾神社、思兼神社、農業、特に畜産農家の信仰厚い徳満神社の三社がある。
高祖神楽
高祖神楽は今から五百数十年前の応仁元年、戦国動乱の時代時の高祖城主、原田筑前守種親が盟主である周防国山口城主、大内正弘の要請を受けて京都守護の大任に当たった時、戦陣のつれづれに習得した「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされていますが、この外にも異説があり、その始めは定かではありません。
永い歴史と伝統に受け継がれてきた高祖神楽は、江戸時代までは旧怡土郡の神職の奉祀で舞われていました。明治になってからは高祖神社の氏子の人達によって受け継がれ、現在は十数人の氏子の神楽師の奉仕で毎年春の祈年祭、四月二十六日午後一時頃から夕方まで、秋は十月二十五日午後六時頃より十時頃まで篝火の薄明かりで、高祖神社境内の神楽殿で舞われています。
その真価は、昭和四十六年五月十九日には前原町指定民俗文化財、昭和五十六年三月五日には福岡県無形民俗文化財の指定を受けている格調高い郷土芸能であります。
現在奉納されているのは、面を付けずに採り物を捧げて楽の音にあわせ、神楽歌を唱えながら静かに舞う舞神楽と、面を着けた数人の神楽師が登場して神話物語りを展開されてゆく面神楽が奉納されています。
この社の創立は、さだかではないが、貝原益軒の続風土記では、中世の頃、「怡土の庄・一の宮」として中座に日向二代の神、彦火々出見尊を、右座に神功皇后(気長足姫)・左座に日向三代の玉依姫を祭ると記されている。。
三代実録には「元慶元年(877年)高■比売神に従五位下を授給す」とあり、神話にちなんだ社です。
拝殿
本殿
神社名 | 高祖神社 |
住所 | 福岡県糸島市高祖1578 |
TEL | 092-322-7133 |
御祭神 | 彦火々出見命、玉依姫命、息長足姫命 |
創建年 | 878年 |
社格 | 県社 |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |