【大分県玖珠郡九重町】宝八幡宮国東塔・板碑
宝八幡宮国東塔
宝八幡宮板碑
国東塔(総高1・68m)・板碑(総高0・86m)
県指定の国東塔・板碑を含め、ここにある石造物は全て地下に錯乱状態で埋まっていたが、昭和五十三年十月地主により発見掘り出され、復元されたものである。笠など破損のはなはだしい物もあるが、これは戦国時代末期天正十四年(1586)十月から翌年三月にかけて、島津兵が最後に乱入し玖珠の諸城を攻略した際に、宝八幡宮もその兵火にかかり焼失した。その折に破壊されたものと思われる。
国東塔の塔身には梵字が墨書されているが、バク(釈迦如来)以外の梵字は判読困難である。格狭間・反花の彫りなどからして、南北朝期の造立と思われる。
ここには他に五輪塔・宝篋印塔も十数基分あり、これらのことから考えてここは中世宝八幡宮の大宮司甲斐家の墓地であろう。
板碑は正面額部に「カ」(地蔵菩薩)が陰刻され、碑身上部には「イ・イ・コ・カー・イ」の五体の地蔵を現した種子が、陰刻されている。碑身下部には、「キャ・カ・ラ・バー・ア」の五大四方門が四行に渡って墨書されている。また碑身左側には「宝徳三辛未歳卯月廿三日」(1451)の紀年銘が墨書されている。
この板碑は、六つの地蔵が陰刻されていることから六地蔵板碑と思われる。六つの地蔵の種子(梵字)が異なるのは、地蔵が六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道)に救済に行くときの姿の変化を現している。
宝八幡宮国東塔
国東塔
遺跡名 | 宝八幡宮国東塔・板碑 |
住所 | 大分県玖珠郡九重町大字松木1371 |
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年代 | |
指定区分 | 県指定 |
駐車場 |