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【島根県益田市】机崎神社

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島根県益田市鎮座の机崎神社

机崎神社説明版

【由緒・歴史】

 古伝によれば、この机崎神社は奈良時代聖武天皇天平年間(約1200年前)背後の稲積山に五穀産業開運の祖神である宇迦魂命、大国主命猿田彦命の三柱の神様を御祭神として奉斎したことに始まります。

 平安時代には稲積山に官柱を新たに造営し、稲積神社と称して、盛んな祭祀を営みました。鎌倉時代初期、益田兼高公が七尾城主となるや神威は更に増し、南北時代初期、興国二(1341)年の争乱の時に山頂の神社を現在地に遷座し、机崎神社と称するようになりました。

 

【机崎神社 益田戦争長州軍陣地】

 幕府は慶應二(1866)年第二次長州戦争の軍を起こし、四境より戦端が開かれ石州口の戦場となったのが益田でした。幕府軍浜田藩、福山藩の連合軍で、六月十七日の朝、萬福寺と勝達寺(天石勝神社)、医光寺に布陣しました。村田蔵六大村益次郎)率いる長州軍は幕府軍の動きを読み十六日には扇原関門に迫りました。扇原関門の関守は浜田藩士岸静江国治、少数の士卒そして農民兵十六名のみです。藩命を遵守した岸静江は関門を迫る長州軍を断固拒絶し、槍を構えた立ち姿のまま銃弾を浴び絶命したといいます。藩境の扇原関門を突破した長州軍は机崎神社に集結し、指揮をとった村田蔵六が傍らの稲積山で敵情視察をし幕府軍の動静を探り、作戦を立てたと言われています。


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益田地区七社巡り
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拝殿
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本殿

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神社名 机崎神社
住所 島根県益田市土井町5
TEL 0856-22-7120
御祭神 宇迦魂命、大国主命猿田彦命
創建年 天平年間
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印