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【島根県益田市】柿本神社

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島根県益田市鎮座の柿本神社
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柿本人麻呂朝臣は、考昭天皇の皇子天足彦国押人命の後胤である小野族から分かれた柿本族の出である。柿本族の本拠は大和にあったが、その一部族が益田市戸田(小野郷)に移住、小野の地に於いて人麻呂公は御生れになったと伝えられている。青年時代に都に上られ持統天皇文武天皇の両朝に宮廷歌人として仕えられた。万葉集にある如く「鴨山の岩根し枕ける吾かも知らにと妹が待ちつつあらむ」の歌を残されて石見国の鴨山に逝去された。その鴨島は高津の沖にあったと今日まで語り伝えられて来ている。神亀元年国司が勅命によって終焉地である鴨山に社殿を建立したのが起源である。万寿三年の大地震により鴨島が海中に陥没したと伝えられている。その時の大津波のため人麻呂公の尊像は松崎の地に漂着されたので、この地に社殿を再建された。以後延宝八年に至る六五四年間松崎の地に鎮座。延宝九年亀井藩主により現在の鴨山に再建された。

当社は全国にある柿本神社の本社として歴代皇室の御崇敬厚く中御門天皇の御代、享保八年は人麻呂公御鎮座より一千年祭にあたり、正一位柿本大明神の神階と神位を宣下された。更に宣命、位記、太政官符を下されるにあたり勅使参向の沙汰があるなど、和歌の道に於いて特に当社を尊ばれた御聖旨によるものである。一千年祭にあたり霊元上皇御宸筆の御製以下五十葉の短冊を御法楽として御奉納された。

後、桜町天皇桃園天皇後桜町天皇光格天皇、任孝天皇の御宸筆を始め、各天皇の御製を含め合計三百葉の短冊が御奉納され現在重要美術品に指定されている。又明治天皇の御代、万葉集古義の御奉納、大正天皇御代、明治天皇御歌集、昭憲皇太后御歌集の御奉納、今上天皇の御代千二百五十年祭に御幣饌料等賜っている。

 

御祭神の御事績

宮廷歌人として仕えられ、万葉集に数々残された格調高き歌はまさしく言霊であり、日本最高の歌人である。後、歌の聖と仰がれるに至った。御歌を通して尊皇の至誠を尽くし日本の国柄を後世に伝えられた。石見国に御在世中、人々に楮を作り紙を漉くことを教えられたとも伝えられている。
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柿本神社楼門由緒

 歌聖柿本人麻呂朝臣は、天武天皇持統天皇文武天皇朝に宮廷歌人として仕えられ、大宝年中に石見国府の役人として石見に下り秀逸な石見相聞歌を残し、神亀元年(724)、石見高津の鴨島で逝去された。聖武天皇は甚く嘆かれ、勅命により鴨島に人丸社を創建された。万寿三年(1026)五月、石見未曾有の地震のために鴨島は陥没した。人丸社の尊像は松崎の地に漂着し、地区民は人丸社を再建した。石見大森銀山奉行大久保石見守長安は社殿の造営を行った。

 現在の柿本神社は、津和野藩主亀井茲政が、延宝九年(1681)、高角山に本殿、拝殿、楼門を建立したことから始まる。楼門は神聖な神社への出入口で、殊に入念に建造されている。これは偏に津和野藩主亀井茲政の崇敬が、篤かったことが伺える。

 この楼門は、初層と上層からなり、二層とも桁行三間、梁間一・五間の三間楼門で屋根は瓦葺きの入母屋造りである。上層には四方に切り目縁の床を張った廻縁を付け、勾欄を組み、組物は出組で、蝦尾を思わせるこぶし鼻と、柱頭の装飾的な木鼻が特徴的な折衷様式の門である。

 前回の大改修は明治二十四年(1891)に行われ、今回の平成十七年(2005)の改修は、百十四年ぶりの大改修となる。長い年月にわたる風雨等により劣化が進んだため、屋根の葺き替えと木部の取替え等の大改修が行われた。築後三百二十四年を経て、二十一世紀の現代に再生された。


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楼門
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柿本神社由緒

 柿本人麻呂朝臣は、七世紀末から八世紀初めの白鳳時代に活躍した宮廷歌人である。数々の格調高き、雄大荘厳な歌はまさしく言霊(ことだま)である。万葉集の代表的歌人で、一代明星である百人一首に「足曳の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を濁りかも寝む」都に在りて

「東の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月傾きぬ」

石見にて

「石見のや高角山の際よりわか振る袖を妹見つらむか」

柿本大明神は、文学の神として学問の向上をお導きくださり又、農産業の神・くらしをお守りくださる神として、あらたかな御神徳を戴き、広く崇敬されている。
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人麻呂公像
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柿本神社本殿

 柿本神社の祭神は柿本人麻呂で、その起源は人麻呂の終焉地鴨島に勅命により建立された社殿といわれています。

 鴨島は万寿三年(1026年)の大地震により海中に没しましたが、その時に人麻呂尊像が松崎に漂着したので、現在地より北の松崎の地に社殿が再建されました。その後、近世に入り慶長十三年(1608年)に徳川秀忠の命により、石見銀山奉行大久保長安によって造営され、寛文十一年(1671年)には津和野藩主亀井茲政によって宝殿、拝殿、楼門が修理されました。

 そして、延宝九年(1681年)に茲親は風波を避けて神社を現在地の高津城跡に移転しました。複雑な地形を効果的に利用した社殿配置と独特の建築様式を持った当神社は津和野藩が残した重要な遺産となっています。

 本殿は正面三間、側面三間の入母屋造妻入、桧皮葺で、唐破風造の向背を有し、津和野の方角を向いています、殿内は亀井家の四ツ目結び紋を配した板扉によって外陣と内陣に区切られ、内陣の中央後方に須弥壇があり、向唐破風造屋根を戴く厨子が置かれています。

 また、柿本神社享保八年(1723年)の人麻呂千年祭にあたり正一位柿本大明神の宣下を受け、社宝として重要美術品に認定された御法楽御短冊が奉納されています。


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拝殿
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本殿

 

神社名 柿本神社
住所 島根県益田市高津町地方2612−1
TEL 0856-22-0756
御祭神 柿本神人麻呂命
創建年 724年
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印