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【北九州市若松区】河伯洞

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河伯洞は、本市出身の芥川賞作家火野葦平(本名玉井勝則、明治39年(1906)生まれ)が昭和15年(1940)からその生涯を終えた同35年(1960)までの大半を過ごした建物です。二階にある書斎からは「花と龍」-「革命前後」など数多くの作品が生み出されました。

 建物は、和風の主屋と書斎を含む洋風の部分とで構成されており、和風部分(庭園を含む)は葦平の父玉井金五郎が構想したもので、洋風部分は葦平の意向を反映した造りとなっています。

 葦平の出征中(昭和12年(1937)~14年(1939))に父金五郎が、当時ベストセラーとなった「麦と兵隊」などの印税をもとに、葦平のために新築をおもいたったのですが、葦平はこれに反対で、戦地での戦友達の苦労への思いから、後々もこのことを負担に感じていたといいます。

 河伯洞は若松を中心とした北九州を舞台とする作品を多く書き続けた葦平の作家活動の拠点であるばかりでなく、九州の文学関係者の交流の場として、葦平文学の理解と研究にとって貴重な資料です。

 河伯洞の名は、葦平の河童好きに由来し、河童の住む家という意味で名付けられたものです。


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河伯

 

遺跡名 河伯
住所 福岡県北九州市若松区白山1丁目16−18
TEL 093-771-0124
年代 昭和時代
指定区分  
駐車場