【山口県岩国市】白崎八幡宮
白崎八幡宮は、建長二年(1250・鎌倉中期)に、時の領主の清縄左衛門尉良兼(今地氏遠祖)が、氏族の繁栄と領内安民守護の神として、今津琵琶首に創建奉斎された事にはじまります。後約百年を経て貞和四年(1348)に良兼の子息弘中堂内源兼胤(清縄を弘中と改姓)が、現在地の白崎山に荘厳な社殿を造営し社領を寄進して奉遷、旧岩国十七ヶ庄の産土神と仰ぎ領民と共に深く尊崇されましたが、兵火に罹り、文亀三年(1503)に再建される以後、弘中三河守隆兼に至る迄代々弘中氏が大宮司を奉仕し、弘治元年(1555)に三河守失脚後、孫の今地良房が宮司を継承し今日に至っています。
岩国初代藩主の吉川広家公が、慶長五年(1600)岩国に入封し、慶長十六年二社殿を再建すると共に社領を献じ、武運長久と国郡豊■を祈願し歴代の藩主も八幡宮を尊崇し、元和・万治・天和・宝永及び寛政と五回に亘り改修築の工がありました。現在の建物は明治十七年に神殿を、大正十年に拝殿を檜皮葺きで再建し、昭和四十四年に拝殿を、又同五十九年に本殿を銅板葺きに、東参道の改修が行われる。平成元年に斎館を改築し祖霊社を奉遷する。
白崎八幡宮の由来
「神は人の敬いによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」
鎌倉時代に、八幡大神を勧請し八幡宮を造営する幕府のすすめとなった。
周防の豪族大内家中の最高実力者として厳島合戦にも参加。清和源氏の嫡流子孫が代々宮司を継承している白崎八幡宮
白崎八幡宮の由緒
当宮は鎌倉中期建長2年(1250年)、時の領主、清縄左衛門尉良兼(今地氏遠祖)が、遠石八幡宮の御神霊が白鷺と化して室木に垂跡することと知り、氏族の繁栄と、領内安民守護の神とし今津琵琶首に八幡宮を創建奉斎されました。
後百年を経て、貞和4年(1348年)、良兼の子息弘中堂内源兼胤(清縄を弘中と改姓)願主として現在地白崎山に壮麗な社殿を造営且つ社領を寄進して奉遷、旧岩国十七ヶ庄の産土神と仰ぎ領民と共に深く尊崇されましたが兵火に罹り文亀3年(1503年)完工、以後弘中三河守隆兼に至る迄、代々弘中氏が大宮司を奉仕し弘治元年三河守失脚後、孫今地良房宮司を継承今日に至っています。
岩国初代藩主吉川広家、慶長5年(1600年)岩国に入封、慶長16年社殿を改築すると共に社領を献じ、武運長久と国郡豊■を祈願し、歴代の藩主もまた、八幡宮を尊崇し、庶民は等しく産土神と仰ぎ加護を祈願崇拝し現在に至りました。
拝殿
本殿
神社名 | 白崎八幡宮 |
住所 | 山口県岩国市今津町6丁目12 |
TEL | 0827-29-1122 |
御祭神 | 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、武内宿祢命、埴安姫命、事代主命、素戔嗚尊、菅原道真公、五男神、大山積神、金山彦命、少童神 |
創建年 | 1250年 |
社格 | 郷社 |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |