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【長崎県大村市】玖島城跡

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玖島城 本丸跡

 ここは、大村藩二万七千石の居城である玖島城の本丸跡です。玖島城は、慶長四年(1599)に造られた城です。その後、慶長十九年(1614)に大改修を行い、それまで北側にあった大手を南側の大手に改修し、この時、虎口門、台所門、搦手門の三つの入口の形が定まったと伝えられます。

 本丸の敷地の内、西半分にあたる大村神社本殿のある一帯には大広間など侍詰所(政庁)があり、東半分の玖島稲荷神社のある一帯には藩主の居館がありました。城に天守閣はなく、平屋の御殿でした。本丸を巡る石垣の上には堀を巡らし、矢狭間、鉄砲狭間、石火矢狭間が設けられ、護摩堂や多聞櫓があったと記録されています。

 左の絵図は江戸後期の玖島城本丸を描いたもので、政庁や藩主居館の位置や間取りを見ることができます。

 玖島城は、明治四年の廃藩置県大村県庁が置かれましたが、すぐに長崎県に合併されたことにより不要となり、建物は取り壊されました。その後、明治十七年に旧藩家臣により大村家歴代を祀る大村神社が建立され、現在に至っています。
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佐藤嘉平次少佐の碑

 第一次世界大戦日独戦争で、歩兵第四十六聯隊(大村)第四中隊長佐藤嘉平次大尉は、大正三年(1914)九月二十八日未明、青島攻略の命を受け、峻峻嵯峨なる浮山の要客攻略を、大村聯隊の名誉を担って自ら決死隊長となり、五十数人の隊員の先頭に立ち、月明かりを頼りに肉弾を持って攻めに攻めたが、無念にも敵弾を胸とさらに腹にも受け、男盛りの三十八才を一世に浮山の朝露と消えた人である。

この中隊長の壮烈な戦死を知った隊員たちは奮い立ち、一隊はほとんど全滅の悲運に遭遇しつつも屈せず、果敢なる突撃を繰り返して大勝利を得たのである。

佐藤嘉平次大尉は偉丈夫の人格者で、第四十六聯隊創始以来のすぐれた軍人であったといわれ、しかも神道無念流の免許皆伝で、聯隊随一の剣道の達人でもあった。

千々石出身の橘中佐、日田出身の広瀬中佐、大村出身の佐藤少佐は、この時代の人々に「軍神」と崇められたのである。
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歩兵少佐佐藤嘉平次君碑
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歩兵第二十三旅団記念碑
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遺跡名 玖島城
住所 長崎県大村市玖島
TEL  
年代  
指定区分  
駐車場