【福岡県飯塚市】大分八幡宮
楼門
仁王像(阿)
仁王像(呍)
当宮は神功皇后御征韓後、粕屋の宇美邑にて応神天皇御出産遊ばされ翌年の春京にお上りの際、軍隊を引率され粕屋嘉穂の郡境にある険しいショウケ越えを経られ、当宮に至る。坐して暫しお上りになり筑紫の■お執り遊ばされ、此地にて軍隊を解除せられし由縁の地なり。
宇佐宮託宣集に、我宇佐宮より穂■郡大分宮は我本宮なり■あり本邦■所別宮第一に列せられ、朝廷に尊崇篤く筥崎宮の元宮にて由縁正しい第四十五代聖武天皇神亀三年(今から約1300年前)御神託にして創建され、応仁・天正の九州戦乱にて御社殿は兵火に罹り焼失後、天正五年秋月種実公勅命に依り、現在地に■殿を建立、御神霊を勧請鎮座された。御社殿■ての侭今日に至る。
神殿裏山の小高い丘■の盛土に全国でも珍しい皇室古墳■■推定地仲哀■として考古学者の学問的期待をかけている。聖地にあり、往古旧社殿は小高い丘の前にあり前地に礎石の残れり。
史跡 大分宮演舞殿跡由来記
大分八幡宮は筥崎宮の本宮として仲秋の大祭の折毎年九月十五日の放生会には、その昔享保年間頃より演舞殿に於て、地方興行師一座によって演舞や時代劇が奉納せられた。
放生会の獅子舞流流鏑馬官相撲御神楽など地方よりの参詣の人波は賑ぎんを極めて、連日三日間は舞殿の前はムシロ座席の上で近郷近在の老若男女の見物人は数百人を数え時代劇の初狂言には夜を徹し忘れがたい思い出となっている。
舞殿前面の構えは五間通しの引幕が張られ奥行三間右側に囃方部屋全即席来賓席官寺、医者監視席などあり、正面左側即席花道その裏側に楽屋が在って全体の構造は実に壮大な舞殿として庶民の記憶に新しい。其建物も戦後老朽化の為取り壊し、一片の面影すらとどめないことは誠に残念に耐えない、県内に於て斯かる施設は神社境内には実にまれである。
昨今、県内各地から問合せがあり、貴重な文化財的存在であったことが最近の話題となっている。茲に在りし日の舞殿の跡地に記念の由来を記し後世に伝承せんとするものなり。
拝殿裏の小高い丘
拝殿
本殿
神社名 | 大分八幡宮 |
住所 | 福岡県飯塚市大分1272 |
TEL | 0948-72-0621 |
御祭神 | 神功皇后、応神天皇、玉依姫命 |
創建年 | 726年 |
社格 | |
建築様式 | |
駐車場 | |
御朱印 |