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【福岡県久留米市】北野天満宮

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福岡県久留米市鎮座の北野天満宮

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由緒

 北野天満宮は、菅原道真公を祀った神社でその創立は、天喜二年(1054年後冷泉天皇の御感夢により当地を選び、関白藤原道隆の孫貞仙僧上に勅して、宝殿九間に五間、拝殿十一間に九間の社殿を造営され、社殿の廻りには、七十五ヶ所の末社と二十八ヶ所の社寺家があり、領田は一千町歩に及び、京都北野天満宮代官所として華麗を誇った。

 その後、源平の争乱で社殿は破壊されたが、源頼義、頼朝が社殿を寄進し足利義満の代になると筑後一円を荘園として認められ、この地方の人には年貢、兵役、人夫等の課税を免ぜられる。

 戦国時代、兵火に見まわれ社殿は全焼したが永正五年山本郡吉木の城主藤原重永によって再建された。その後、天正十五年豊臣秀吉九州征伐の時、一時社領は没収されたが、承応三年(1654年)久留米藩主、有馬■林が社殿を改築し、明和年間楼門が潤色され池や橋の造営により、今日の天満宮の景観ができた。以来、学業成就並びにひきつけふうじの祈願所として近郷からの参詣者が絶えなかった。

現在、神社の境内には、樹齢九百年の大楠(天然記念物)が茂り、慶長鳥居(県文化財)が古色蒼然たる趣きを添え、江戸時代に寄進された撫牛、灯籠、鳥居、狛犬等立並び、信仰厚かった往時が偲ばれる。又鰐口、天神縁起三巻(県文化財)及び、足利義満将軍の御教書を始め、南北朝時代から江戸時代中期にかけての古文書、後陽成天皇の御宸筆、書画等が現在保存されている。毎年執り行われる十月の御神幸祭の行列(県文化財)は、古い伝統を誇り人のよく知るところである。

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石造鳥居

 このような鳥居は、「肥前鳥居」と呼ばれ、慶長年間(1596~1614年)につくられたものが多いため、「慶長鳥居」とも呼ばれます。笠木の長さは5・35m、高さは4・01m、地面での両柱の間隔は2・5mを測り、凝灰岩を削ってつくられています。銘文から慶長12(1607)年の年号を読み取ることができたので、江戸時代のはじめにつくられたことがわかります。最初は外宮へ下る参道の途中に建っていましたが、昭和のはじめ頃に現在の場所へ移されました。

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肥前鳥居

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撫牛

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楼門

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拝殿

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本殿

 

 

神社名 北野天満宮
住所 福岡県久留米市北野町中3267
TEL 0942-78-2140
御祭神 菅原道真
創建年 1054年
社格  
建築様式  
駐車場  
御朱印