【佐賀県佐賀市】金刀比羅神社
金刀比羅神社の博打木
バラ科の常緑高木で、関東から沖縄まで分布し、樹高20mに達するものもある。この木は、大正2年二台湾に旅行した人が記念に20㎝余りの苗木を持参して植栽したものといわれている。
木の葉を蒸留したものをバクチ水といって、咳止めの薬に用いる。樹皮が絶えずはげ落ちるので、バクチに負けて裸になるのにたとえ、博打木といわれている。また、別名を「福の木」とも呼ばれ、はげ落ちた樹皮をサイフに入れておくと、カケゴトをするときには負けないともいわれている。
博打木
【金刀比羅神社】は、佐賀平野を一望する正面に有明海、雲仙普賢岳(長崎県)・南東に荒尾四ツ山(熊本県)、東に久留米筑後平野(福岡県)を見晴るかす百八十度の視界で海抜九十米の地に鎮まっています。
御祭神には、神産巣日大神(守護神)・大国主大神(主神)・多紀理津昆売神(弁財天)・少名彦大神・事代主大神(恵比須神)・建御名方大神・金山彦大神、七柱が祀られています。
当神社は奈良時代、第四十八代 称徳天皇の御世(天平神護元年・西暦764年)肥前国 国司が金刀比羅宮(香川県)御分神を勧請され、肥前国金刀比羅の宮総座・金刀比羅大将大権現と尊称され、堂宇は荘厳華麗にして七堂伽羅ありて奉祀以来、豪族・武将・庶民の崇敬篤かりしが数次の戦禍に災され、天正三年堂宇は灰塵と化した(顛末不詳なるも鍋島家譜に散見す)
天正五年龍造寺隆信社殿を再建以来、龍造寺鍋島の直願神社として崇敬篤く、文禄慶長 朝鮮の役、島原出陣等々海上守護武運隆昌を祈願せられ解願成就奉賛の為、山林弐拾七町余を奉納し、別当寺として観音寺一乗院一宇を建立される。
享保十七年鍋島五代藩主宗茂公は、嫡男宗教公(六代藩主)の大病平癒祈願奉賛の為、西南の地権現原より眺望絶景の現山(通称こんぴら山)へ荘厳華麗な社殿を建立遷座し、併せて佐嘉城本丸へ奉祀中の東照宮も遷座された。
毎年正月十日、常夜燈五百匹を献し、春夏秋の三大祭には直祭参拝され七日間の芝居を奉納あり。
別当寺観音寺へは知行五十石を与え、本支藩家中挙って金宝を奉納し崇敬の誠を捧げられたが、明治維新により社地は境内地を若干残し上地となる。
大正六年県下崇敬者各位の奉賛により、瓦葺を檜皮葺に、昭和三十七年には檜皮葺を銅板葺に葺き替え、平成十六年には神殿を新築建立し今日に至っております。
「こんぴらさまは一生に一度、大きなことが叶えられる」と、海上守護・農業殖産・病気平癒・縁結・安産・商業繁栄・諸災転福を願い、崇敬神社として県内外より多くのご参拝を頂いております。
拝殿
本殿
神社名 | 金刀比羅神社 |
住所 | 佐賀県佐賀市金立町3349 |
TEL | 0952-98-1237 |
御祭神 | 神産巣日大神・大国主大神・多紀理津昆売神・少名彦大神・事代主大神・建御名方大神・金山彦大神 |
創建年 | 764年 |
社格 | |
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駐車場 | |
御朱印 |