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【福岡県宗像市】宗像大社

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福岡県宗像市鎮座の宗像大社
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史跡 宗像大社境内

 

 宗像大社沖津宮中津宮辺津宮の三宮からなり、宗像三女神を奉斎している。

 ここに祀られる宗像大神については、記紀風土記にも詳らかにのべられており、沖津宮のある沖ノ島からは、古墳時代から平安時代にかけての貴重な祭祀神宝(国宝)が多数出土している。

 また宗像大神を奉祀する宗像氏は古代の有力な氏族であり、中世には院庁、鎌倉、室町両幕府らと関係をもち、戦国記にもその地位を守り抜いた豪族であった。

 旧境内の概要は、現存する天正六年(1578年)の造営絵図により想定できるが、現境内もなおよく当時の形状を保っている。


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御神木と神紋について

 

 この楢の木は、当大社の御神木です。宗像大社の神紋は、皇統守護の神勅を戴く鎮祭の由緒から、「菊の御紋」を表紋とし、この「楢の葉紋」を裏紋として用いています。

楢の葉に実をあしらった意匠で、歴代の宗像大宮司家の家紋としても用いられてきました・

この御神木の樹齢は約550年で、今もご参拝の皆様を見守り続けております。


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御神木の樫の木
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末社由緒

 

本殿を囲んで二十二の社殿に一二一の末社が鎮まっております。現在の社殿は延宝三~四年(江戸時代前期)にかけて整備されたもので、その由緒は古代の律令制度の時代にまで遡ります。

大化の改心(645)により公地公民となりますが「神郡」と定められた地域のみ、神社の私有が認められました。神郡は全国の有力神社七社(伊勢神宮内宮、下宮、安房神社熊野大社鹿島神宮香取神宮、日前・国懸神宮、宗像大社)にのみ許され「八神郡」と称されました・九州では唯一宗像のみが神郡と定められ、その「神郡宗像」内に祀られた各神社を集合奉祀したものが、現在の末社群です。

神郡宗像の領域は現在の宗像・福津両市を中心に、遠賀・鞍手・粕屋郡の一部にまで及び、各地域に鎮座した「七五末社一〇八神」といわれる神が、宗像大社を総氏神と仰いだ信仰を今に伝えています。尚、佐賀県の一部など中世に宗像大宮司家が領有した地域の神も分祀され続けたため一二一社に至っています。現在も各地域に鎮まっている神社がほとんどですが、なかには時代の経過とともに祭祀が営まれなくなり、もとの鎮座地が不詳となった神社も、この末社群にはございます。


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末社
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御神木 相生の樫

 

二本の幹から伸びた枝が仲睦まじく交差し合った連理の樹木は太古より男女の絆を深め、恋愛が実り末永く夫婦円満の福徳が有ると言い伝えられています。

この樫の木は、御覧の通り堅い絆で目出度く枝が結ばれており、その神縁により御神木「相生の樫」と命名致しました。


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相生の樫
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第二宮・第三宮

 宗像三女神のうち、長女神(沖ノ島)と次女神(大島)は遥か玄界灘洋上に鎮座されており、往古より総社(中心となる神社)である当地・辺津宮を「第一宮」と称し、その境内地に両宮の御分霊をお祀りしてまいりました。そして第二宮と第三宮まで詣でれば、沖津宮中津宮まで、つまり宗像三宮を拝したと信仰されてきました。

 宗像三女神は「古事記」「日本書紀」にある通り、天照大神素戔嗚尊との誓約の際に、天照大神の息吹より誕生されました。

 現在の社殿は、その格別の由緒を以って宗像三女神の御親神を祀る伊勢神宮より、第六十回神宮式年遷宮に際し下賜されたものです。

 我が国最古の建築様式である「唯一神明造り」で昭和五十年五月に移築されました。

 

伊勢神宮宗像大社

 天照大神は皇室の御祖先神であるとともに、全国津々浦々の各ご家庭で神宮大麻(「天照皇大神宮」のお札)が奉斎されておりますように国民の総氏神として、伊勢神宮三重県)にお祀りされています。

 伊勢神宮は「神宮」と申し上げるのが正式名称で、三重県伊勢市に鎮座する皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)と呼ばれる二つのお宮(「正宮」ともいいます)をはじめ、別宮、摂社、末社、所管社一二五もの宮社からなり、その総称が「神宮」となります。

 正宮に次ぐお宮である別宮は、伊勢市とその近郊に十四あり(内宮十、外宮四)、当大社の第二宮・第三宮の社殿は、皇大神宮(内宮)別宮である「伊佐奈岐宮」と「伊佐奈弥宮」の旧社殿です。

 伊勢の息吹を感じていただきながら、神話の時代より連綿と継承される我が国の祈りに思いを馳せながら、お参りいただきましたらと存じます。


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第三宮
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第二宮
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三笠宮殿下応制歌歌碑

沖ノ島 森のしげみの岩かげに 千歳ふりにし 神祭りのあと

 

 昭和五十年の御題「まつり」の宮中歌会始の儀にて、お詠みになられた御歌です。記念歌碑は、殿下自ら筆を取られたもので、同年十月に百合子妃殿下と共に当地・辺津宮御参拝の折に建立されました。

 三笠宮崇仁親王殿下は、昭和四十四年、辺津宮中津宮沖津宮と宗像三宮を御参拝され、当時沖ノ島で行われていた第三次沖ノ島学術調査を、親しく御視察されましたが、その折の御感懐をお詠みになられたものです。


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沖ノ島 森のしげみの岩かげに 千歳ふりにし 神祭りのあと
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御祭神について

 

 当大社は天照大御神の御子孫

田心姫神沖津宮)、■津姫神中津宮)、市杵島姫神辺津宮)の三女神が日本書紀に伝えられているように天孫降臨にさきだち天照大御神の御神勅を奉じて鎮座されました。この九州北辺の要衝の地に三柱の女神が勅祭された意義はまことに尊く、道王■の御別称が示すように国民道の祖神として歴代の皇室を守護され国家鎮護の御神徳を発揚され今日に至っております。

また古くから皇祖天照大神をおまつりする伊勢神宮に対して裏伊勢とも称せられ皇室をはじめ国民の崇敬も厚いお社です。宗像大神とおまつりする神社は全国に六千余社ありますが、当大社はその総本宮であります。

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国指定重要文化財 本殿・拝殿

 

宗像三宮の惣社である辺津宮は往古より「第一宮」と呼ばれ、全国約6200社の宗像神を祀る神社の総本宮です。現在の本殿と拝殿は、約五百年前の弘治三年(1557)の焼失により再建したものです。

本殿は戦国時代真っ只中の天正六年(1578)時の大宮司第八十代宗像氏貞公が、拝殿は本殿再建の十二年後の天正十八年(1590)毛利元就の三男で「毛利両川」の一人として知られ、当時の筑前国の領主であった小早川隆景公によって再建されました。本殿・拝殿ともに国の重要文化財に指定されています。

平成二十五年には屋根及び社殿塗装の修復が実施され、同二十六年十二月八日には遷座祭を斎行しました。

 

本殿 五間社両流造 杮葺

 

五間とは建物の横幅のことで一間が六尺(約1・8m)です。流造は屋根が流れるような曲線を描いた建築様式で、前後対称ではなく後ろより前が長い神社独特の工夫がなされた美しい建物です。全体の構造は豪壮で、戦乱の時代に建立されたとは思えない程優美な姿は、桃山時代の特色がよく表されています。

 

拝殿 切妻造妻入 杮葺

 

切妻とは屋根を四方ではなく、左右二面に本を伏せたように葺き、前後を切り落としたような様式で、妻入とは妻側に入口を設けて正面とする造りです。全体的な印象は簡素且つ雄大です。


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拝殿
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本殿

 

神社名 宗像大社
住所 福岡県宗像市田島2331
TEL 0940-62-1311
御祭神 田心姫神、■津姫神市杵島姫神
創建年  
社格  
建築様式 本殿(五間社両流造)拝殿(切妻造妻入)
駐車場
御朱印