【大分県豊後大野市】宮迫東石仏
緒方平野と川と滝、石仏とのかかわり
自然と歴史・文化の結節点
平安時代の終わり頃、この緒方平野では「緒方三郎惟栄」という豪族が大きな力をもっていました。そして、この周辺には緒方一宮、二宮、三宮、宮迫石仏など、平安時代に作られたとされる歴史遺産が多くあり、緒方三郎惟栄の勢力が大きかったことを示しています。
それらの歴史遺産は、川や滝という自然遺産に影響をうけながら存在したと考えられています。
緒方三社川越し祭り
この祭りは緒方一宮、二宮、三宮のお神輿が、年に一度二宮社の境内に集う祭りです。三宮社だけが緒方川の対岸に位置するため、集うためには緒方川を渡らなければなりません。
祭礼日は11月の下旬ごろ、寒風のなかフンドシ一枚の氏子に担がれた神輿は、原尻の滝のすぐ上を渡ります。
緒方宮迫東石仏
大らかな石仏
宮迫東石仏は平安時代の末期に作られたと考えられる磨崖仏です。如来型坐像を中心に、向かって右に不動明王、左に毘沙門天、またその両側に金剛力士像が彫られています。中央の如来型坐像は、大日如来と現地で伝わり篤い信仰の対象となっています。
造形に地方独特の大らかさがあり、厚く彫刻されたその姿から、緒方地方の文化の一端を知ることができます。
石仏?磨崖仏?
石でできた仏様を指し、「石仏」と呼ぶ場合と「磨崖仏」と呼ぶ場合がありますが、どちらが正しいのでしょう?「石仏」とは文字通り、石で作られた仏様のことを指し、「磨崖仏」は崖に彫られた仏様のことを指します。もっと簡単に言うと、「石仏」は人の手により動くことがありますが、「磨崖仏」は崖にくっついているためどうやっても動くことがありません。石仏という広い区分けの中に磨崖仏という種類があると考えるとわかりやすいと思います。
不動明王像
毘沙門天像
金剛力士像
宝塔
金剛力士像
遺跡名 | 緒方宮迫東石仏 |
住所 | 大分県豊後大野市緒方町久土知71−番地 |
TEL | |
年代 | 平安時代末期 |
指定区分 | |
駐車場 | 有 |