【大分県豊後大野市】緒方宮迫西石仏
緒方宮迫西石仏
崖に込められた祈り
この宮迫西石仏も、東石仏と同じく平安時代の終わりごろ作られたと考えられています。向かって左から、薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来と配置されており、薬師如来は現世に、釈迦如来は過去に、阿弥陀如来は未来に、それぞれ御利益があると言われています。こちらも東石仏と同様、立体的で大らかな石仏で、臼杵石仏に類似した石仏があります。彩色が良く残り目立ちますが、昭和9年ごろに塗り直したものと考えられています。
脚光を浴びた石仏
豊後の石仏(磨崖仏)は、今でこそ国内でも有数の量と質を誇ることが知られ、磨崖仏といえば大分県と言えるほどですが、知られるきっかけになったのは、現在のJR日豊本線の開通です。この鉄道が大分まで開通した大正3年以降、京都、東京の学者がこの地を訪ねやすくなり、そこから広く知られるようになりました。その後、昭和9年には、国による文化財指定を受け(当時は国宝の指定)、文化財ブームが起こりました。
石仏と阿蘇山
おおいた豊後大野ジオパーク内には多くの石仏があります。その石仏のほとんどが、阿蘇山からやってきた火砕流が冷えて固まった石「阿蘇溶結凝灰岩」に彫られています。この火砕流はとても大量であったため冷えて固まる過程で、強く固まったり弱く固まったりと差ができました。磨崖仏はそのなかでも弱く固まった比較的軟らかい石に彫りこまれており、見事な彫刻を生み出す元となりました。
遺跡名 | 緒方宮迫西石仏 |
住所 | 大分県豊後大野市緒方町久土知 |
TEL | |
年代 | 平安時代末期 |
指定区分 | |
駐車場 | 有 |