【大分県豊後大野市】普光寺磨崖仏
日本一の大きさを誇る磨崖仏
正面の大不動明王は、高さが11・3米で磨崖仏(浮き彫り)の中では日本最大です。左に制多迦童子、右に矜羯羅童子(いずれも5・5米)の二童子を従え、鎌倉期の作と言われています。不動は右手に剣、左手に捕り縄、盤上にあって体から猛炎を放ち、仏法を強力に広めようと、憤怒の形相をして睨んでいます。雨に打たれると光背火炎がくっきりと浮き出て、一層鋭さが増し威厳が出てきます。右の■には三米の高さの多聞天があり、武具を身につけ塔と宝棒を持った厳めしい姿で睨んでいます。左の■には高さ1米余りの磨崖仏が四体あり、左から阿弥陀如来、小矜羯羅童子、小不動明王、小制多迦童子と並んでいます。合計八体の磨崖仏は、いずれも同時期の作で、県指定の文化財となっています。
向かって左が不動明王
喝
熱烈歓迎
あなたも日羅上人(無宗派)と結縁を当磨崖仏様は平安時代、日羅上人により開眼した御佛様です。一千年後の平成に到り、寄る歳に克です。ご拝観の如くの御姿と相成りました。少しだけ若返るため、おん薬石を老男善女の皆様にお願い致します。ご浄財は、記名は無記名で投函願えれば日羅様の世を名告れます。
佛教徒よ。そして他信教の人々よ永遠に幸多かれ!!
普光寺磨崖仏
普光寺と磨崖仏
鎌倉時代におこったとされる普光寺は普光山筑紫尾寺と呼ばれていました。しかし江戸時代初期に筑紫尾が畜生に聞こえるので、筑紫尾を山号として普光寺と名前が改められました。この寺には巨大な磨崖仏があります。像高は8mとも12mとも言われ、全国でも最大級の磨崖仏です。およそ800年前に作られたとされており、中央の巨大な仏像が不動明王、その両脇、向かって右に矜羯羅童子、左に制多迦童子があります。不動明王とは憤怒の相、つまり起った顔をしているものですが、この磨崖仏は長年風雨にさらされ丸く優しい表情になっていて、大きな磨崖仏ですがとても親しみのもてる姿となっています。
磨崖仏が作られた岩壁
豊後大野ジオパークには9万年前阿蘇山がおこし大火砕流が固まったもの、阿蘇ー4溶結凝灰岩を多く見ることができ、たくさんの磨崖仏がそこに刻まれています。阿蘇山は、この9万年より以前にも大きな噴火を繰り返しており、およそ12万年前にも大噴火をおこしました。その時も大規模な火砕流をおこし、周囲を覆い尽くして冷えて固まりました。その固まった岩が阿蘇ー3溶結凝灰岩と呼ばれています。普光寺の阿蘇ー3溶結凝灰岩は、溶接(固まり方)が弱くもろい性質を持っています。不動明王のお顔が優しいのも、この影響があるのかもしれません。
阿蘇山は過去に4度、大きな噴火をおこしたとされてます。その時発生した火砕流の規模は、冷えて固まり残された阿蘇溶結凝灰岩によってわかります。
不動明王の横の祠
遺跡名 | 普光寺磨崖仏 |
住所 | 大分県豊後大野市朝地町上尾塚1225 |
TEL | |
年代 | 鎌倉時代 |
指定区分 | 県指定 |
駐車場 | 有 |