【山口県下関市】安岡八幡宮
安岡八幡宮
遠く平安時代末の寿永年間(1182~)平家追討使源範頼が、鶴岡八幡宮の分霊を安岡浜に奉斎し祈願した。この社を当初は安岡浜宮と称していたが、当地方一八箇村の総鎮守となり、氏子崇敬者の尊崇を集めた。江戸時代の天保の頃(1830~)、追山を開いて遷宮、安岡八幡宮と称した。当社には、一名「安岡踊」又は「ハンヤリュウキュウ」ともいう有名な雨乞行事がある。これは長府藩の保護をうけて、盛大に行われてきた「雨乞踊」である。大浦・脇之浦両地区の奉仕によって維持され、明治三十年(1897)頃まで連綿として続いていたが、莫大な出費を要するため、現在は廃絶している。正徳元年(1711)時の氏子一同の発願により、当社へ浄財を献じ、名鐘が奉納された。その後250余年、安岡町民は此の清浄なる洪鐘の音をききながら、朝夕心の糧としてはぐくみ育てられた。然しながら、大東亜戦争の末期、国家の要請に応えて供出した。この後、名鐘の音を慕う声が絶えず、氏子中から梵鐘奉納の儀が■■として起こった。昭和三十四年(1959)、氏子の浄財により洪鐘が再鋳造された。境内の一隅に「やすらが丘公園」(桜の木、約80本あり)があり、花見時期には大変にぎわっている。社務所の下の池は、明治の頃伊予の国から豊浦郡安岡のある村に働きに来た父の藤四郎とせがれの松之進が、深坂の上の内日道を作るとき出た石を迫の宮に運び、心という字をかたちどった池を作ったものと伝えられている。
地元の伝承によれば、この石棺は神功皇后ゆかりの武将のものと伝えられ年代は三世紀初頭と思われる。
石棺
名鐘(正徳元年)
楼門(明治18年)
本殿
神社名 | 安岡八幡宮 |
住所 | 山口県下関市安岡町4丁目8−39 |
TEL | 083-258-0484 |
御祭神 | 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、宗像三女神(多紀里比売命、寸嶋比売命)、■都波能売神 |
創建年 | 寿永年間 |
社格 | |
建築様式 | 本殿(平舎造)、幣殿(平舎造)、拝殿(流造) |
駐車場 | 有 |
御朱印 |