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【九州八十八箇所百八霊場】98番札所 生善院

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熊本県水上村の生善院
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生善院は、謀反の疑いにより非業の死をとげた普門寺盛誉と、その後を追って死んだその母玖月善女を祀るために、寛永2年(1625)に人吉藩主相良長毎によって創建された。この玖月善女の愛猫伝説から「猫寺」とも呼ばれている。堂内の須弥壇厨子も当初のもの。

 生善院観音堂は、堂内の金箔や極彩色の厨子須弥壇、あるいは堂の内外を漆塗りとした霊屋的な意匠を持つ点に特徴がある。保存状態もよく、豪華な造りで、球磨地方の江戸時代前期の代表的建造物として価値は高い。
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生善院(通称 猫寺)

 

猫寺伝説

 

 天正十年(1582)、相良藩への謀反を企てているという嘘の訴えにより、湯山佐渡守宗昌とその弟で普門寺の盛誉法印が殺されることになった。その話を聞いた宗昌は日向へ逃げたが、寺に残った法印は殺され、寺も焼かれてしまう。

 無実でありながらわが子を殺された法印の母、玖月善女は愛猫玉垂を連れて市房神社に参籠し、自分の指を噛み切ってその血を神像に塗りつけ、玉垂にもなめさせて、末代までも怨霊になって相良藩にたたるように言い含め、茂間が崎というところに身を投げて死んでしまう。すると、相良藩では、猫の怨霊が美女や夜叉に化けて藩主の枕許に立つなど、奇々怪々なことが次々に起きた。

 藩では霊をしずめるために普門寺跡に千光山生善院と名づけて寺を建立。現在の本堂も観音堂も、その時に建てられたものだ。法印の命日である三月十六日に、藩民に市房神社と生善院に参詣するように命じ、藩主自身もそうしたので、怨霊のたたりはしずまったと伝えられている。
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観音堂

寺名 生善寺
住所 熊本県球磨郡水上村大字岩野3542
TEL 0966-44-0068
本尊  
創建年  
駐車場  
備考