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【九州四十九院薬師霊場】47番 永勝寺

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日本三薬師 永勝寺

 

 天武八年(680)十一月、天武天皇は皇后の御病気御平癒を祈願のため薬師寺を建てられた。

 ここ永勝寺も、勅願所として「宝祚長久万民快楽」を祈願され、三年に一度の星祭りも行われ、その霊験の程を大いに喜ばれて寺田を賜り、七堂伽藍が建立されて三十六坊を有したと伝えられる。

 降って白河天皇はことのほか尊崇され、勅願数回に及んだ。当時の本坊を禅定坊と称し、「出雲の一畑」「伊予の山田」と共に日本三薬師と仰がれ、鎮西一の巨刹としてその偉容を誇った。その後、兵火などによる荒廃や再興を繰り返して今日に至っている。

 境内には、学問の仏「文殊菩薩」、百日ぜきの仏「こうばし地蔵」、五百羅漢、市文化財の「けんぽ梨」、柳坂の地名を思わせるアカヤナギの大木なども見られる。

 また、寺には大聖歓喜天、陶製四耳壺蔵骨器や大蔵経六百余巻などが寺宝として保存されている。
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日本三薬師 永勝寺

 

天武八年(680)、天武天皇は皇后の御病気御平癒を祈願するため薬師寺を建てられ、この永勝寺も祈願所として「宝緑長久万民快楽」を祈願、三年に一度の星祭りも執行されました。天皇はその霊験の程を大いに喜ばれて寺田を賜り、七堂伽藍が建立され、三十六坊を有したと伝えられます。

 のちの白河天皇もことのほか尊崇され、勅願数回に及びました。当時の本坊を禅定坊と称し、「出雲の一畑」「伊予の山田」と共に日本三薬師として、また鎮西一の巨刹としてその偉容を誇りました。そうした歴史の古さは境内から出土した奈良・平安・鎌倉期の古瓦および陶製四耳壺蔵骨器などからもうかがえます。

 その後南北朝時代に兵火、戦国期の大友氏の焼討にもあい、天正十五年(1587)にキリシタン大名毛利秀包が当地方を領有した時にも堂宇仏像のほとんどが放火にあいましたが、筑後新領主田中吉政の代に再興され、草堂に薬師仏が奉安されました。その後は一薬師堂草庵として村民によって維持さりたり、荒廃と再興をくりかえし今日にいたっています。

 現在の本堂は明治九年、戸長・村民相計って建立されたもので、明治七年建てられた説教所(この時曹洞宗になる)を正式に永勝寺として再興発展させたものであります。
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本堂

 

寺名 永勝寺
住所 福岡県久留米市山本町2155
TEL 0942-44-1386
本尊 薬師如来
創建年 680年
駐車場  
備考