【九州八十八箇所百八霊場】79番 善福寺
善福寺鰐口
松浦家の初祖久公を祀る今宮神社の別当寺善福寺に松浦丹後亀童丸が正平十年(1355)に諸人の円満を祈願して寄進した青銅製の鰐口で、軒に吊るして打ち鳴らす梵音具である。
南北朝時代の在銘の鰐口は少なく、作柄もよく、しかも歴史的にも貴重な資料である。
五輪塔について
五輪塔は、菩提を弔うための塔婆(塔)の一つの形式で、平安時代中期前に密教(当山も真言密教の寺院です)において創始され、鎌倉時代以後、各宗派に広がっていきました。
この形式は「五輪五大」の思想からきており(下の方から)「基礎が方 塔身が円 笠石が三角 受花が半月 宝珠が団」の形を示し、それらの各部(輪)が(下の方から)「地 水 火 風 空」の五大を表しています。
元来は供養塔ですが、墓の上に置いて墓塔としているものもあります。
塔の姿は時代によって異なっており、ここにあるものは、鎌倉時代から室町時代にかけてのもので、宗家松浦(今福松浦家)の武士を供養したものと思われます。
山門
『雷柿の木』の由来
今から百年以上も昔、天空の仏が不作に苦しむ諸人を救わんと、雷神を伴い自らも雷神の姿となり、閃光と轟音を発し、境内の二本の柿の木に降りてこられました。
雷神の姿となった仏が下った柿の木は、大きな衝撃で幹は裂けて、うろ(空洞)ができました。仏は、この柿の木が末永く生き続けることを確かめられたのち、神の木の姿をした神として、又、うろの中では本来の仏の姿となって、今日も五穀豊穣を叶える神として座しておられます。
農業国であった我が国では、昔から雷の光は稲を育てると信じられ、稲妻を発する雷は農業神として崇められています。
神仏の力を秘めたこの二本の柿の木は『雷柿の木』と呼ばれ、今も大切に守られています。
「松豊山 善福寺」について
当山は市内唯一の弘法大師を宗祖とする真言寺院で、九州八十八ヶ所、百八霊場巡りの第七十九番札所となっております。
この善福寺の歴史は古く、鎌倉時代末期に宗家松浦(今福松浦家)の祈願所として寺上の地に創建され、松浦氏の始祖を祀る今宮神社の別当寺(神職が祀りを兼ねる寺)となっておりました。
その後、時を経て江戸時代の千七百年頃、幕府旗本今福松浦家、第二十三代当主豊公の助力を得て、仏坂の地に下り、松浦山善福寺として中興開山されました。松豊山の号は、公を敬い御名の「松浦源豊」をもって命名したものです。
本堂入口に掲げられている額には「枩豊山」の号とともに「源豊」の名が刻まれており、開山時の今福松浦家との関わりを知ることが出来ます。又本堂には、創建当時の歴史をかたる県指定文化財の「善福寺鰐口」が有りますので是非ご覧下さい。
寺名 | 善福寺 |
住所 | 長崎県松浦市今福町仏坂免910 |
TEL | 0956-74-0145 |
本尊 | |
創建年 | 鎌倉時代末期 |
駐車場 | |
備考 |