【佐賀県神埼市】脊振神社 下宮
背振神社(下宮)由来
日本六所弁財天の一社「背振弁財天」といわれ御祭神は市杵島姫命外の女神弁財天は仏教伝来後、合祀されたというそのお使いといわれる白蛇が境内向かって右側の石窟に棲んでいるので俗に、「はくじゃさん」とも呼び伝えられている。神仏混合の昔は同一境内に下宮と多聞坊東門寺が並び建っていたが、明治七年の佐賀の乱で焼失し、現在の社殿はその後再建されたものである。
五穀豊穣開運財運の神様として崇敬を集め県内をはじめ九州一円から、参詣がある。
筑紫野に 荒ぶる風の 盾とこそ 神や造りし 背振岳は
勝海
背振不動明王
氷室跡
背振山には天然氷を貯蔵する氷室が背振神社裏・久保山浄徳寺裏山などにありました。
茅葺の三間・六間、高さ一丈四尺で周囲が二重張りの板壁で、その間におが屑が詰められ外気を遮断する構造でした。
厳寒期に、背振山中の谷に氷棚が組まれ、カケヒの水しぶきをかけて凍結させ、切り取って氷室に運び貯蔵していました。
明治二十一年には久保山一谷での製氷許可が下りた記事が見られ、背振の特徴を生かした産業でした。
拝殿
本殿