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【九州二十四地蔵尊霊場】2番 堂塔寺

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この小さな丘は遠賀郡遠賀町若松にあり、堂塔寺山または薬師山ともいう。山の南左右に丸尾という砦ありし由言い伝う。寺は永禄年中(第百六代正親町天皇)1558~1569年、大友宗麟の兵火に罹り廃絶する。現在、この寺北一町の所に薬師如来の石仏と、その傍に榎木の大木があり、その下に目洗い井戸がある径三尺、深さ八尺里民の伝に昔朝日長者または、月軒長者という者、一人の女子あり。眼を病みて、彼の薬師に祈りければこの井戸にて眼を洗うべしとの夢の告あり、即ち洗いしかば、たちばち眼疾平癒す。故に、目洗いの井戸と名づくという。この長者の宅趾は、この井戸より西二町ばかりの丘で今も月軒という地名で残っている。

 この月軒長者のいたという屋敷跡に昭和のはじめ、川端家が移り住み、農業を営みいたりしが、そのうち嫡子利夫氏に縁ありて、昭和九年、当時遠賀村鬼津の二村家より、妻を迎えることとなり、嫁いで川端ハツヘという。

 彼女は幼き頃より身体が弱く信仰心が厚かったのである。夜、夢に月軒長者の一人の女子があらわれ堂塔寺を再興すべし。さすれば、汝に衆生済度の願力を与えるであろう。またの夜、再度、薬師如来および地蔵菩薩、その他の菩薩を世に出し、衆生、済度せよと数多の不可思議なお告をうけ、これより彼女は難行苦行の修験修行道をきわめることとなり、昭和三十年、伊津野亮賢師について、得度し僧名を川端亮貞師となる。遂に、衆生済度の願力を得、開眼の因縁により1963年、即ち昭和三十八年、廃寺より数えて四百十余年を経て、ここに堂塔寺を再興するにいたったのである。奉斎本尊弘法大師大日大聖不動明王薬師如来地蔵菩薩および諸仏をまつる。
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本堂

 

寺名 塔寺
住所 福岡県遠賀郡遠賀町大字若松2054
TEL 093-293-0209
本尊 弘法大師大日大聖不動明王薬師如来地蔵菩薩
創建年 1963年再興
駐車場
備考