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【佐賀県みやき町】白石神社

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白石神社(白石大明神)元村社

 

・直弘公=鍋島本藩初代藩主勝茂公の四男で鍋島本藩の御親類四家の一として寛永十二年(1635)白石邑の邑祖になった人、寛文元年(1661)歿、六代邑主直章によって文政六年(1823)六月当地に社殿を建立し邑祖直弘公を祭神に祀り白石神社と称した。

 

・直■公=白石邑第八代邑主で当時の当地区の窯業の振興に尽すいした。御用窯の築造焼物の品質の改良、研究、保護、奨励に没頭した白石窯業先覚者である。明治十五年(1882)合祀された。

 

・茂安公=はじめ龍造寺隆信の家臣直茂、勝茂には重臣として仕えた戦略家築城家であった。晩年は佐賀藩内の治山治水事業に尽すいし、千栗土居の築堤五反三歩、春日石井樋築造寺偉業は数えきれない。(1560~1633)大正十五年(1926)祭神として合祀された。
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白石神社宝物展示館

 

三月堂形の磁製灯篭で、高さ225㎝、幅60㎝の巨大な作品です。明治18年、伊予国五十崎芳太郎作、宝珠・宝珠台・笠・火袋・中台・さお・台座・基礎台からなっており、龍の象がんなど美術的に焼成された逸品です。
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白石神社磁製灯篭

 

 この磁製灯篭は三月堂形灯篭で全高225㎝、最大幅60㎝の巨大な製品です。

宝珠・宝珠台・笠・火袋・中台・さお・台座・基礎台からなっており、火袋の中に「愛媛県伊予国五十崎芳太郎作、明治十八年十月吉日 協力会社造」という銘があります。

 白石焼は白石鍋島藩の御用窯として「走波焼」を焼成してきましたが、明治四年の廃藩置県により、藩からの窯元援助が途絶えてしまいました。一方、走波焼の窯を守るため、この地に陶工達は作陶焼成の努力を惜しみませんでした。また失禄した武士達も出資して白石銀行・協力会社等を設立し、窯業振興に努めました。

 この作品は、いわゆる「走波焼」ではありませんが、その流れを汲んで製作されたもので、輸出焼と称された協力会社の製品です。当時の彫刻家五十崎芳太郎の製作によるもので、龍の彫刻象嵌の見事な姿勢、各種文様の染付焼成は実に鮮やかな逸品です。白石焼の陶芸史の研究と美術工芸の点から貴重な資料といえます。
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拝殿
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本殿