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【福岡市南区】興宗寺(穴観音)

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福岡市南区の興宗寺
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穴観音(興宗寺)

 寺塚一帯には多くの古墳がありましたが、福岡城の築城の際に石垣の石として古墳の石が抜かれ、壊滅したと伝えられています。境内に残された古墳は、古墳時代後期(6世紀)の円墳で推定直径は約20m。主体部は南向きに開口する横穴式石室で、巨大な岩を用いた市内屈指の巨石墳です。石室内には、阿弥陀如来勢至菩薩、そして観音菩薩が彫られていることから、穴観音として親しまれ信仰を集めています。また境内には、忠臣蔵で知られる赤穂四十七士の墓もあります。
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赤穂四十七義士之墓並びに福岡義士会の沿革

 

赤穂四十義士は東京高輪泉岳寺に祭られ供養されているが昭和十年(1935年)篤志家木原善太郎氏(当時六本松在住)が私財を投じ、泉岳寺と同宗である興宗寺境内に赤穂義士の墳墓を模して、配列はおろか地形から玉垣まで泉岳寺のものと同型式の墓を建立されたもので全国的に他に類のない貴重な史跡である。

福岡義士会はこれを機に結成され、義士打ち入りの日を期し祭典を執行、祭典には頭山満氏が名誉会長となり時の市長参列のもとに地元住民並びに小・中学校児童生徒多数参列し盛大を極めた。

以後毎年十二月十四日祭典を実施した。終戦後一時中断していたが地元有志、特に興宗寺関係各位のご尽力により昭和二十八年祭典を復活し、遂年参拝者も多くなり今日に至っている。
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四十七義士の墓

元禄十五年十二月十四日(1702)は赤穂四十七士が見事主君の仇を討ち武士の本懐を遂げた日であり、この墓は東京高輪の泉岳寺と同型式です。毎年当日は、義士の遺徳を偲び冥福を祈る義士祭を行っている。
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血染めの石

田村邸内で浅野長矩公が切腹の折、介錯の血潮がこの庭石にかかったという。
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首洗いの井戸

吉良上野介の首をこの井戸で洗い、主君の墓前に供え報告したという。
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境内に古墳がある
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寺名 興宗寺
住所 福岡県福岡市南区寺塚2丁目22−11
TEL 092-541-2348
本尊  
創建年  
駐車場
備考 古墳あり