【福岡市南区】羽黒神社
創建の時代は明らかではないが、「筑前国続風土記拾遺」に天正十四年(1586年)の当社に関する文書の存在を示す記載があり中世のころ出羽羽黒山の修験者によって勧請されたと考えられる。
江戸時代には福岡藩主の深い信仰を受け、その武運長久、家内繁栄、無病息災と五穀豊穣の祈祷所でもあった。社殿等の新改築はその寄進による。特に神殿は荘厳な桃山造りで文化財に相当するものであった。また明治の初めまでは付近の集落の産土神であった。
昭和二十年六月十九日福岡空襲によって社殿は焼失したが、昭和二十一年氏子によって再建され現在の社殿は昭和五十五年に再建されたものである。
現存する鳥居、燈籠等の石造は江戸時代に建造された物が大部分であり、当社の歴史を示す文化財である。
なを、文化、文政期における福岡藩主の信仰を示す文書も現存している。
拝殿
本殿