【福岡県飯塚市】八幡宮
(聖光上人伝)によれば、聖光上人は、建久五年(西暦1194年)明星寺五重の塔を再興の為に、大日寺山に入り、多数の人々の手で、大木を伐らせました。その時、ある大木を伐ったところ、その木の皮の下に文字が書いてありました。
その文字は
伊奈波 知和也不留 加美乃 伊我幾登 奈留曽宇礼之幾
(稲は、神様のお供物として捧げられるのが嬉しいように、木材も仏様の御堂となるのを喜んでおります)
村人たちは、この和字を見て、怪しみもせずに、なる程と思いました。というのは、村の古老が代々伝えきいた話があったからです。
昔、因幡大夫という人が居られました。(宗像大社の大宮司の孫ということです)
平々凡々と毎日を暮らしている事に疑問を感じ、世の為、人の為になる事はないかと思い明星寺に正月一日より七日迄の七日間、おこもりをして、毎日三千賛百三十三回の礼拝をして修行に励まれました。満願の八日の朝になって、虚空蔵菩薩より、一尺二寸(約36㎝)の稲穂を戴き、喜び勇んで稲穂を抱いて、明星寺をあとにしました。
その日は、色々と所用があって、遅くなり、日も暮れかけて到底家に帰りつく事は出来そうになかったので、仕方なく途中の大日寺で、一軒の民家に宿を乞い泊めてもらいました。
ところが、その夜、民家の老主人が「私には、娘がおりますが、とても器量良しでございます。是非、あなたと夫婦になってもらえれば有難いと思います」と話をしたところ、大夫も快く承諾されて目出度く夫婦となりました。
それから後は、夫婦で明星寺の虚空蔵菩薩から貰った稲穂を種にして、春に田を播き、秋には収穫して数年もたつと忽ち有福の身になりました。
また、同時に村の人々にも種を分け与え、大日寺村は云うに及ばず、国中大いに繁栄したという事であります。
二月一日、大夫は端座念仏眠るが如く往生されました。
村人たちは、皆、大日寺山の大木を伐った時のあの文字は、昔の大夫の事をいっているのではなかろうか、そして、聖光上人は、あの大夫の生まれ替わり、誠に、有難い事というお話です。
拝殿
本殿
神社名 | 八幡宮 |
住所 | 福岡県飯塚市大日寺850 |
TEL | |
御祭神 | 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、武内宿祢命、日本武尊、天照大御神、玉依姫命 |
創建年 | 673年 |
社格 | |
建築様式 | |
駐車場 | 無 |
御朱印 |