【福岡県大野城市】胴ノ元古墳
福岡県大野城市の胴ノ元古墳
古墳とは、今から約千七百年前から、千三百年前にかけての四百年間に土を大きく盛りあげてつくられた墳丘を持つお墓のことです。
上から見た形によって、円墳、方墳、前方後円墳などに分けられます。また、一般に墳丘の中には死者が安置された石室があり、その構造の違いによって竪穴式石室と横穴式石室とに分けられます。
このような分け方によれば、胴ノ元古墳は古墳時代の終わり頃(約千四百年前)につくられた横穴式石室を持つ直径約十一メートルの円墳ということになります。
ここで、左の模型を見て下さい。胴ノ元古墳はふたつに切ったもので、横穴式石室の構造がよくわかります。
右側に出入口があり、そこからトンネル状の細長い部分が続いていますが、ここが羨道と呼ばれる通路です。
その左側の長方形の部分が玄室で、ここに死者を安置しました。胴ノ元古墳の玄室からは、須恵器という灰色の固い土器や、青銅にメッキをしたイヤリング(耳環)、ネックレスに使ったガラス製の小さな玉などが出土しました。
胴ノ元古墳は、もとは周囲の道や水田より十四メートルも高い丘の上にあったので、その上に立つと牛頸全域から春日市の方まで見渡すことができました。
古墳がつくられた当時は、牛頸の山々に須恵器を焼く煙が立ちのぼっているのが見えたにちがいありません。
石室入口
この公園は、以前は高さ14mほどの小高い丘で、その頂上に今から1400年ほど前につくられた胴ノ元古墳がありました。園内にはつくられた当時のままの胴ノ元古墳の姿が再現されており、郷土の歴史の生きた教材として皆様に役立てていただくことができます。