【福岡県筑後市】水田天満宮
肥前型鳥居の石造鳥居
楼門
筑後市大字水田にある天満宮で、大宰府安楽寺領の主要な荘園のひとつとして知られる水田荘は、建長2年(1250)以前にすでに成立しており、経済的な中心であったとされています。社名は「老松社」「老松宮」「水田天神」などの変遷が記録されています。
菅原道真公を祭祀しているこのお宮は、嘉禄2年(1226)後堀川天皇の勅を受けて菅原為長が創建したと社伝にあります。現在の本殿は、平成3年に襲来した台風の影響により解体修復を行ったものですが、修理前本殿は寛文12年(1672)に菅原法印信兼により再建されており、太宰府天満宮の建築様式を踏襲していました。構造は正面3間、側面4間の「三間社流造」で、正面に「妻入唐破風向拝」、大屋根は「千鳥破風付」、拝殿の左右に「車寄」があります。本殿の内部は拝殿外陣及び内陣に分かれ、拝殿は三間一面、外陣及び内陣は五間となっています。
なお、屋根はこれまで「檜皮葺」とされていましたが、解体修理中に、「杮葺」であったことが判明し、現在は「杮葺」に戻されています。
石造鳥居(県指定文化財)
水田天満宮の参道のほぼ中ほどの橋側にあり、形式は「明神鳥居」で、構造的にみると明神形式の特徴の一つである亀腹(柱を支える基礎)はなく、「肥前型鳥居」の範疇に入ります。笠木・島木・柱・貫のいづれも三石構造で、反りは極めて少なく、左右に銘が刻まれています。
水田天満宮本殿の裏にある狛犬で、石材は凝灰岩製。像高は54.5㎝を測ります。背部に銘文が刻まれており「奉寄進獅子駒 諸願成就■■敬白 慶長十五年■戌卯月二五日 肥前国住・・・長安」とあります。愛嬌のある写実的でない顔は「肥前型狛犬」の特徴のひとつでもあります。
天文10年(1541)の作で、火王面は(阿型)、水王面は(吽型)の対相をなしています。木造火王水王面は共に一木彫りで、裏側が彫り抜かれ、鼻先は接ぎ合わせとなっています。寸法は、面高24㎝、面幅17㎝、面厚11㎝を測り、面は三叉鉾に取り付けられ、御神幸の指導となすものです。火王面の裏に墨書銘があり、「老松宮天文十年九月■日 宮司坊信順」と書かれています。
木造獅子頭
永正15年(1518)の作で、黒獅子は面長31㎝、面幅32㎝、面高22㎝、赤獅子は面長32㎝、面幅32㎝、面高31㎝を測ります。上顎の裏面を掘り抜き、下顎は別材で上顎下に挿入し、鉄材の芯棒を通して下顎を開閉させる仕組みになっています。「大願主快■同赤女敬白 水田老松宮御宝殿獅子一頭 作者■嶋家政」の銘があり、この獅子頭は室町期における筑後地方の標準型とされています。
水田の森「クス・イチイガシ」
水田天満宮境内に点在しています「クス」と「イチイガシ」は平地での社業として美観を保ちながら旺盛な樹勢を維持していることで珍しく、森は一括で指定を受けています。「クス」は23本で、このうち胸高周囲1m以上のものが10本あります、一方、「イチイガシ」は10本で、このうち胸高周囲2m以上のものが4本あり、樹高の大きいものは24.4mにも達します。
稚児風流
毎年10月25日、水田天満宮の神幸祭に豊作を祈って奉納されるもので、神輿の渡御前には町内をねり回り、幽界の神遊びの幻像をこの世に示現した舞楽をします。別名「ドイカンカン」ともよばれ、衣装は頭に「シャグマ」、体に「陣羽織」、足に「フングミ」、「自足袋」、「わらじ」を身に付けます。手には陣太鼓と鉦を分担し、大太鼓にあわせて「ハーエンヤーアイ、ヤーアイ(栄あれやの意)」の掛け声とともに風流を舞います。
千燈明
水田天満宮の千燈明花火大祭は、毎年8月25日に氏子の奉納行事をするものです。この祭りで見ることのできる千燈明は、まず楼門や鳥居形の燈籠を作り、櫓に一定の間隔を開けながら粘土を付け、その上に帆立貝の殻を置いて油を注ぎ点火して夜空の楼閣の姿を浮かび上がらせます。
心字池
青銅製菅公御神像奉納者野口市太郎氏は明治二十八年二月二日、水田村上北島に生まれ野口安太郎氏の長男幼時より志を立て明治四十二年八月十五才の折上阪海外メリアス貿易商八木福商会に入社。大正十年退社、独立翌十一年露・満・中支を視察し、昭和五年四月北米・中米・南米各地を市場販路拡張の為三ヶ年に渉り調査して多大の成果を収め現在引継ぎ繊維、編み物製造輸出商として益々発展されつつある。市太郎氏は幼少より氏神菅公信仰の念厚く■も本年は大阪在住五十年を記念されて多年の念願成就ここに菅公御神像を奉納されたものである。
菅原道真像
さざれ石
この石は、国家に歌われている「さざれ石」です。岐阜県揖斐郡春日村に産出する珍しい石で、学名を石灰質角礫岩といい、石灰岩が長い年月の間雨水に溶けて鍾乳石と同質の粘液が次第に小石を凝結してだんだん巨岩になり苔むしたものであります。
巨大な石は、高さ4mで120トンにおよび岐阜県の天然記念物に指定されています。
日本の国は、このさざれ石の様に、小さい石が降り積もって大きな石になり、なおその上に苔が、生える様に千年も万年も永く永く栄えます様に。と歌われています。
すずめ蜂を銜えた鷽鳥
この二羽の石鷽鳥は、天神様の御神幸や参拝者をすずめ蜂が襲った時に、鷽鳥が飛来してすずめ蜂を噛み追い払い、人々を助けた事は有名です。
嘴にはすずめ蜂を銜え、足元にはすずめ蜂の大きな巣がある石鷽鳥は全国では当天満宮だけで、非常に珍しい石造物と言われています。
また、鷽は漢字の冠が学業の學と同じで「天神さまのお仕え鳥」として祀られています。
すずめ蜂を銜えた鷽鳥
力石
この靖国神社は昭和三十一年に筑後市初代市長下川秀樹氏と筑後市靖国神社奉賛会会長松木忠次郎氏、水田天満宮宮司宮原昌勝氏を筆頭に建築された総檜の御本殿は同年十月に竣工し、東京都千代田区九段北に鎮座する靖国神社より社名と筑後市の英霊千二百七十五柱をご分霊頂きこの靖国神社にご鎮座し建立されました。
例年四月十日には今上天皇皇后陛下のご成婚記念日を祝し、筑後市の英霊を偲び靖国神社桜祭りを斎行し、平和の礎を築かれた英霊に心より哀悼の意を表すと共に恒久の平和を祈念するお社として参拝・崇敬されています。
拝殿
本殿