島原藩主、松平忠房公は、「民に時刻を知らしめ、これを励行せしむることは政治の要道である」として延宝三年(1675)豊後高田の治工藤原正次に巨鐘を鋳造させ、この地に鐘楼を建てて、時間ごとに撞き鳴らし時刻を知らせました。 以来、二百七十年間、島原の…
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