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歴史好きの歴史好きによる歴史好きの為のブログ

【福岡県うきは市】正八幡宮

福岡県うきは市鎮座の正八幡宮 肥前型鳥居? 拝殿 本殿

【福岡県うきは市】浮羽島

浮羽島の由来 日本の一番古い正史、日本書紀や八世紀に出来た風土記に次の逸話が記されています。 景行天皇の十八年八月(おおよそ1900年前)九州御巡幸の時、天皇は八女からこの地にお出でになって御食事をなさいましたが、お供のお料理番たちが盃を持って…

【福岡県うきは市】正平塔

正平塔 筑後川から取水した大石・長野水道のほとり、田園の中にある宝塔で、正平十八年の銘があり俗に「正平塔」という。 塔身には金剛界五仏を示す四種の梵字を彫し、「願以此功徳普及於一切我等興衆生皆共成仏道」正平十八年(1363)七月八日、調衆各敬白…

【福岡県うきは市】水神社

福岡県うきは市鎮座の水神社 水神社の由来 この水神社は、吉井町で最も小さな九尺二間の拝殿と、奥の神殿は石祠という昔ながらの素朴なたたずましですが、吉井町を東西に貫通する用水路(南新川)の要に位置する大切な川の神様で、日々の暮らしや生産流通に…

【福岡県久留米市】高樹神社

福岡県久留米市鎮座の高樹神社 高樹神社 祭神は高皇産霊神(造化の三神の一)。古くは高牟礼権現」と称し、高良山の地主神と伝えられる。 この神社はいわゆる国史現在社(正史=六国史に名の現れる神社)で、「三代実録」元慶二年(878)十一月十三日の条に…

【福岡県みやま市】竹飯八幡宮

福岡県みやま市鎮座の竹飯八幡宮 竹飯八幡宮の肥前型鳥居 普通私たちのみる鳥居は笠木が全体的に曲線になっていますが、肥前型では両端だけが曲線となっており島木と貫の間が狭くて、笠石はずん胴で、二段あるいは三段の継目をもっています。基礎部分も台座…

【福岡県筑後市】水田天満宮

福岡県筑後市鎮座の水田天満宮 肥前型鳥居の石造鳥居 楼門 筑後市大字水田にある天満宮で、大宰府安楽寺領の主要な荘園のひとつとして知られる水田荘は、建長2年(1250)以前にすでに成立しており、経済的な中心であったとされています。社名は「老松社」「…

【福岡県広川町】石人山古墳

福岡県広川町の石人山古墳 石人山古墳 この古墳は、岩戸山古墳(八女市)・石神山古墳(みやま市)と共に、石人を有することによって全国的によく知られます。 古記録に「貞享元年(1684)三月、一条村の南岡に石人を立つ云々」とあるように、石人そのものが…

【福岡県八女市】天満宮

福岡県八女市鎮座の天満宮 仁田原大将の腹ぬくめ石 拝殿

【福岡県うきは市】小江八幡神社

福岡県うきは市の小江八幡神社 元禄四年製の鳥居 参道が清々しい 楼門 楼門内の随神像 文化14,15年、享和元年、明治30年(左から) 本殿

【福岡県うきは市】月岡古墳

福岡県うきは市の月岡古墳 月岡古墳 月岡古墳は、今からおよそ1500年以上前の古墳時代中期(5世紀中頃)に、若宮古墳群の中で最初に造られた古墳です。全長は約80mで、墳丘の高さは前方部が6m、後円部が7m程度あり、前方部を西に、後円部を東に向けた前方…

【福岡県うきは市】若宮八幡宮

福岡県うきは市の若宮八幡宮 肥前系鳥居(肥前鳥居とは違うらしい) 楼門 若宮八幡宮燈籠(一対) 天保十五年(1844年)六月の記年銘が残る青銅製の燈籠・現在、本殿の中にある。狛犬と同様に藤江伴右衛門の寄進である。京都近江屋で制作とあり、代金百二十…

【福岡県うきは市】安富古墳

福岡県うきは市の安富古墳 安富古墳 安富古墳は、今からおよそ1400年程前の古墳時代の終わり頃(6世紀末~7世紀初頭)に造られた古墳で、墳丘・石室とも完全な状態で残っており、昭和56年に町指定史跡になっております。この古墳は、昔から入り口が開いた状…

【福岡県大野城市】平野神社 絵馬堂

『信州、川中島の戦い』 1893年(明治26年) 戦国時代の末期、天文22年(1553年)から永禄7年(1564年)にかけて、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は信濃の領有をめぐって争い、信濃北部の川中島の地で前後5回に亘って戦いを交えた。この5回の合戦をまとめて…

【福岡県大野城市】平野神社

福岡県大野城市の平野神社 由緒 正暦二年(991年)京都平野神社の御分霊を筑紫の牛頸に勧請鎮祭する。 大竜寺山山頂に奥宮として後に仁徳天皇を奉祀する。 本宮の平野神社は延喜式名神大社二十二社の五位にして官幣大社。貞応元年(1322年)筑紫鎮護の祈祷料…

【福岡県大野城市】竹田謙窓先生追慕碑

竹田謙窓先生追慕碑 竹田子斐は、春庵先生(竹田定直)の裔(子孫)なり。先生より鴻儒(大学者)を以って顕れ、家其の学を伝う。旧藩(黒田藩)の修猷館を建つるや、梅盧(竹田定良)先生祭酒(学政をつかさどる長官)となり、遂に世襲の職となり、子斐に及…

【福岡県大野城市】竹田修吉先生追慕碑

竹田修吉先生追慕碑 恩師竹田修吉先生追慕碑 恩師竹田修吉先生は、黒田藩儒(学者)瞬庵先生(竹田定直)十代の裔なり。家は世々藩学修猷館の祭酒(校長)たり。廃藩の後明治七年先考(父)謙窓先生居を牛頸の郷に定む。先生時に二才 先生■童(すぐれた子供…

【福岡県大野城市】胴ノ元古墳

福岡県大野城市の胴ノ元古墳 古墳とは、今から約千七百年前から、千三百年前にかけての四百年間に土を大きく盛りあげてつくられた墳丘を持つお墓のことです。 上から見た形によって、円墳、方墳、前方後円墳などに分けられます。また、一般に墳丘の中には死…

【福岡県大野城市】白垣喜八郎翁碑

白垣喜八郎碑 白垣喜八郎翁碑 白垣翁は福岡県筑紫郡大野村大字牛頸の人、父は太作翁といふ。天保七年(1836年)正月八日を以って生れ、七歳にして父を喪ない、独り母と居る。八歳にして継父岡田六次を迎ふ。十七歳にして家産を支えられざるを以って田園を■り…

【福岡県志免町】亀山石棺

亀山石棺 志免町指定史跡 この亀山八幡宮境内には、弥生時代末から古墳時代初頭に造られた「亀山石棺」があります。須恵川流域の平野と多々良川流域の平野を望む場所にあり、墳丘をもつ大型石棺墓1基のほかに石棺墓6基が確認されています。 1号石棺と3号石…

【福岡県志免町】亀山八幡宮

福岡県志免町の亀山八幡宮 境内に亀山石棺がある

【鹿児島県曽於市】通山の六地蔵塔

鹿児島県曽於市の通山の六地蔵塔 通山の六地蔵塔 明暦元年(1655)庚申講衆によって建てられたものである。 塔高202㎝で、基檀に返り花、中台には蓮弁を刻出しており、笠石・龕部・中台・■身・基檀は六角形で当地方に普遍的な形である。 龕部の正面(東向き…

【鹿児島県曽於市】棚木の六地蔵塔

鹿児島県曽於市の棚木の六地蔵塔 この六地蔵塔は、享保十年(1726)に末次氏一族と湯浅氏一族によって供養塔として建立された。六面には、六道(地獄・飢餓・畜生・人界・天界・修羅)の各界を示した一体の地蔵像と他は梵字が刻まれており、この表現は都城盆…

【鹿児島県曽於市】光神の庚申六地蔵塔

光神の庚申六地蔵塔 末吉は六地蔵が5基ある此処の六地蔵もその一つであるが、他の六地蔵と異なるのは庚申六地蔵塔であることである。 此処の庚申六地蔵はもと、財部境の田園の中に山王神社と共にあったのを、山王神社を現在の光神に遷宮する時、同時に、こ…

【鹿児島県曽於市】山王神社

鹿児島県曽於市の山王神社 解読不能だが、天正13年に創建された?

【鹿児島県曽於市】田の神

田之神 南九州は日本列島の南の辺境に位置し、火山活動や台風常襲と厳しい自然環境にあります。 更に、島津藩政七百年は人々の生活を自足的閉鎖的にしましたが、逆に琉球や大陸との交流という南の門戸としての先進性も内包し、又厳しい条件を克服する強い自…

【鹿児島県曽於市】光明寺仁王像

鹿児島県曽於市の光明寺仁王像 光明寺は明治の廃仏毀釈で取り壊されたが、仁王像は地中に埋められた為に難をのがれ、後年掘り出された。

【鹿児島県曽於市】熊野神社

鹿児島県曽於市の熊野神社 都城島津家の富山野辺古文書に「有五宮御召謁大隅国深川院御下向之間奉隠量之元弘三年四月二十九日挙義兵打平凶徒等累」とあり、五辻宮が元弘三年四月当神社境内の深河院に下向の際、優諚を賜った。野辺盛忠が恐懼同院に隠し奉った…

【鹿児島県曽於市】興昌寺跡

鹿児島県曾於市の興昌寺跡 興昌寺跡 この地は、かつて興昌寺(本府福昌寺の末、曹洞宗)のあった所で、明治二年頃の廃仏毀釈によって廃寺になった。 興昌寺墓地には、鎌倉時代末期の五輪塔二基(正中三年・1326の銘あり)をはじめ、末吉郷初代地頭村田雅…

【鹿児島県志布志市】松山神社

鹿児島曽於市の松山神社 松山神社由来 この地は松山神社の跡地であり、享保二年当地に遷宮され爾来二百六十有余年鎮座ましましたが、地域開発のため松尾城跡に遷宮されたものであります。 この神社敷地は、大杉をはじめ、大木の繁茂せる荘厳な鎮守の森であり…